2011/06/18(土)00:08
眺め
この前電車に乗った時、目の前に中年の会社員が3人座っていた。
片手には缶ビール、酔っ払ってるのか話し声は女子高生並みの騒がしさだった。
駅に停まった時、そのうち一人が降りた。
足元にはビール缶。
いい歳したオッサンがゴミを堂々と置いて電車を降りていった。
次の駅でまた一人降りた。
定年間近だろう、白髪まじりのオッサン。
今度は私の目の前でゆっくりと手を下にやり、足元に空き缶を残していった。
正直、このオッサンの頭を横から蹴っ飛ばしてやろうかと思った。
けどあと一人。
まだ最後の一人がいた。
私は次の駅で降りるから、そこまで待ってみることにした。
面倒を減らせるのを少しでも期待していた。
次の駅に着く前になって、最後の一人のオッサンは荷物を置いて隣の車両へ突然行ってしまった。
荷物を置いて・・・何を考えているんだろうか。
それとも私に空き缶をその鞄の中に入れろとの合図なんだろうか?
そんなことを考えているうちにオッサンは戻ってきた。
次の駅につくアナウンスもちょうど入った。
降りる際、空き缶に私が手をつけると、「あっ、片付けますよ」とオッサンは答えたので空き缶は任せてそのまま私は降りた。
とにかく不快なことだった。
ゴミを捨てていく人が嫌だったし、それをいい歳したオッサンがしているのも嫌だった。
なかなか言葉が出せなかったことが嫌だったし、頭を蹴飛ばそうとかトラブルの原因を考えている自分も嫌だった。
こんなことにここ数ヶ月、全く感じていなかったほど緊張して、胸が痛くなったのも不快だった。
結局いいことだろうと悪いことだろうと、特別な出来事は起こらないことが一番なんじゃないかと思うことがある。
刺激なんてなくたって、つまらないと嘆く日常があったほうがいいと思うことがある。
幻滅させてくれるものは、喜ばせてくれるものよりよっぽど多くて強い。
こういうのが疲れてるってことなのかもしれない。