2010/04/28(水)11:58
勝手にシンクロ
もうひとつの、「作家とのシンクロ」。今日のお昼、NHKに作家の角田光代さんが出ていたのである。一人旅が好きなのだそうである。おお、同じだ!…と、そういう話ではない。共通は、してるけど。とにかくすべてが刺激的で、刺激ばかりで、
一度行けば小説が何冊も書けちゃうほどだったそうだ。そうそう。ほんとに見るもの聞くこと、すべて刺激なんです。
一度行けば私は・・・ 小説は書けないがブログならいくらでも書ける
(これでお金になるものなら、頓挫することなく常に最後まで書けていたかもしれないが、
人間生活せねばならない。ぢっと手を見る)。だから、そう、そういう話ではないのだ。角田さんはこれにつづけて、
「刺激に慣れてしまう」ことに触れたのです。何度も旅を重ねているうち、刺激に慣れてしまって、
行けばすらすらと小説が書けるという訳にはいかなくなると。偶然ながら私は今日、
”刺激が常にないとダメな状態、それもやばいなと、最近感じる”と
友達へのメールに書いた。これ、ちょっとずれるが、ちょっとダブる。
そう、刺激というのは次第に慣れてしまうものなのだ。すると私なんかのように怠惰な人間の場合、なんかこう新たな刺激がないと
自分から動かなくなりそうというか。
刺激というのが大げさなら、何らかの変化というか、
そういうものが日々起きていないといけないかのような。
その感覚ってやばいかな、と、ちょっと思ったりしたのでした。けっこうこれ、現代人に共通の問題だったりして。
何か常に新たなものが現れてこないと不安。「やること」がなくなるのが不安。のどかで何も起こらない、ほとんど判で押したような毎日ではいけない、
そう思ってしまうような感覚は、
もしかすると危険じゃないか。ついついふらふらとあちこちに目が移り、心が動いてしまうくせに、
家にいるとぼーっとしてる人間として、
戒めの意味も込めて考えたりする。家にいたってやることは幾らでもある訳で。
庭に出て雑草の一本でも抜いて来いと。ささやかな日常にも意味はあるはずだ。 『ゲゲゲの女房』を見よ。
…いや、あれは、ささやかな日常を送るはずが壊されていく話か。
だがまあ、普通の人々は偉いのである。もうひとつ、角田光代さんに共感したことがあった。司会者が、ヨーロッパをあっちからこっちへとぐるぐるまわった角田さんを
“行動派”と呼んだとき、
「行動派じゃないですよ」と角田さんは苦笑した。その気分はわかる気がした。今回のインド行きでも一部の人に言われたし、
今までのばかな旅行でもたびたび言われたのがこの手の言葉だ。
「行動的」とか「実行力あるね」とか。そうじゃないんだよねー。そうなっちゃうんだよね。そういう「行動」は、一つ間違えば「自己責任」を問われるものともなりかねず、
その辺が困ったところでありますが… 作家ならまだ言い訳がたつが、
凡人の場合非常に難しい。
その辺、今後の課題である。って、何が言いたかったのか私は。ま、毎日を満足するってのは、難しいのだ。私は所(ジョージ)さんの境地に至りたい~