あたふたあなくろクロニクル

2012/05/29(火)13:48

すべての問題はひとつの問題である。

雑記(40)

 そもそも小説は楽しみたくて読むので(少なくとも私は)、処世訓やら助言やら求めて読みだす訳じゃない。 が、読んで救われることも確かにある。 そして、あたかも金言集と化してしまった今回の作品でありました。礼を言わねばです、『ペンギン・ハイウェイ』。 「問題の解き方」に、まだ先があったのだ。三原則プラスα、さらにプラスΘ、である。「問題の正体は、けっきょく一つの問題かもしれない」父の言葉を聞いているこの主人公が小学校4年生、というのも凄いけれども (ちなみにこの主人公は「~だけど」とか「~が」とか言わずに、「けれども」を好む)。べつべつではなくて、すべては一つの問題なのだ。 つまりは三原則でいったん分けて、また統合しちゃう。しかし、なんかこう、我が身を振り返って、納得したりするわけです。  でもまあ、納得したからといって、解決するとは限らないのだ・・・が、そういう悩みにも答えをくれる。まったく金言の宝庫であります。 つまり、「それでもわからないとき」には、「わかるまで遊んでいればいい」、と。 素晴らしい助言。「わかっていることと、安心することは、ぜんぜんちがうこと」でもあるという。これは父じゃなくて小学生の発言。鋭いガキなんである。 仮説を立てるということは、信じるということとはちがうのだった。そうかもしれない。それも納得する。が、となればとりあえず、まず仮説を立てるところまで行かなくてはいけない。小学生に負けた。私はそこにも行ってないぞ。まずはノートを買わねばいかんかもしれない。4年生にならって、方眼紙の。外国製の。この少年とお父さんはノートが好きである。少年とお父さんはノートを買いに行くのも好きである。少年はいつもノートを持ち歩いていて、「問題」を書きとめる。そしてお父さんはメモの取り方も教授するのです。いわく、□ 大きな紙に関係のあることを全部メモする。そして大事なことは、紙は一枚にすること。それから、できるだけ小さな字で書くことなぜかといえば、全部一目で見られるように、だそうだ。それを何度も眺めるうちに、あるとき突然つながる。書いておくことの効用については、件の見城氏も言っていた(氏の場合には記憶力低下の救済法として、のようだが)。私もノートは好きである。買うのも好きである。 だが問題は(あ、また問題だ)、ノートを買うと、すぐその新しいのに替えたくなることだ。 結果、あっちこっちに書き散らすだけとなる。何度も見返したくたって、いつどこに何を書いたか探すのが第一の問題となる。そこから修正せねばであります。まず、またノートを新たに買う、と(多少間違った修正法にも思えるけれども)・・・道は遠いようでした。でも、本当の本当に遠くまで行くと、もといた場所に帰るもの――だそうだ。FULL CIRCLEというわけで。大団円、と。ん、でも、私の場合、戻っていいんだろうかって、そういう気もしないではない。さらにお父さんは、こうも言うのである。「世界には解決しないほうがいい問題もある」――おお、そうか、よかった。いや、それ、違うって

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