携帯電話と電卓のイデア、お皿と茶碗のイデア
携帯電話は、多くの人が知っているけど、まったく見たことも、携帯電話についての知識がない人がみたら、電卓と間違ってもおかしくない。さらに電卓について全く知らない人がみたら、ただの形を持った「何か」であるとしか認識できないでしょう。それが携帯電話だとわかるのは、携帯電話だと『認識する基準』ができているから。認識する基準は、後天的に、作られたものなんだろうな。とは思うのだが。。。ここに、「お皿」と「茶碗」があるとする。一般的な生活をしておれば、お皿と茶碗の区別はつくのだろうが、仮に、お皿の底を少しずつ深くしていったり、仮に、茶碗の縁を少しずつ低くしていったら、どうなるだろう。きっと、お皿だか、茶碗だか判断つかない形の領域にさまよいこむ。それをお皿と呼ぼうが、茶碗と呼ぼうが自由だが、認識的には、どちらとも言えない形がそこには存在しそうだ。