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あとう和之のホームページ

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ソ連をどう思う?

Q5:日本共産党やあとうさんって、旧ソ連や北朝鮮についてどう思ってるの? やっぱりああいうのが理想なの?

A5:

結論からいいましょう。私も、日本共産党も、旧ソ連にたいしては、
社会主義でもなんでもない、めちゃくちゃな体制
だと思っています。

北朝鮮についても同じです。
拉致やさまざまなテロなど、あんなひどいことは社会主義でもなんでもない、むしろそれとはまったく逆行するものだと思っています。

(だいたい、ソ連や北朝鮮みたいなものをめざしている党だったら、私はそもそも日本共産党なんかには入りません! ぜんぜん別のものだと知って喜んで入ったのです)

これはにわかに言い出したことじゃありません。
ソ連は、いまから40年ほどまえに、チェコスロバキアに侵略したり、25年ほど前にアフガニスタンを侵略したりしました。そのとき、私たちは、どの党よりも一番きびしい批判をおこない、「おまえら、そんなことをやるのは社会主義でもなんでもねーよ!」と堂々と主張してきたのです。
気に食わないソ連は、日本共産党をつぶすためにあらゆる手だてをとってきました。そういう無法と何十年もたたかってきた政党が日本共産党です。
だから、ソ連がつぶれたとき、日本共産党は「もろてをあげて歓迎する」という声明をだし、私も大学で晴れ晴れした気持ちでそのことを伝えるビラをまいていました。
また、私が共産党に入ったころ、一番最初にやったのは、中国の天安門事件(1989年、中国当局が民主化を求める学生を戦車で弾圧)をきびしく批判する集会でした。

そういう無法な行為と徹底的に私はたたかいました。

日本共産党が生まれたころ、いまから80年くらいは、実は私たちもソ連には一定の「信頼」感がありました。でも、スターリンやブレジネフなどがやることがどうもおかしいと思いはじめ、実際に彼らがやっていることを見て、そして体験して、「あんなもんは社会主義じゃねえ!」ときっぱり言えるようになったのです。


北朝鮮についても同じです。

あの国が、金日成の個人崇拝を、私たちに押しつけるようになってから、私たちはどうもおかしいと思うようになりました(いまから30年くらい前)。そして、北朝鮮がテロ事件や日本の漁船を銃撃するようになって、私たちははっきりと北朝鮮を批判するようになり、北朝鮮はこれが気に食わないものですから、公然と日本共産党を攻撃するようになりました。

実は、北朝鮮による日本人拉致事件を国会でとりあげ、日本政府に「あれは北朝鮮のしわざだ」と最初に認めさせたのは、実は日本共産党なんですね!
いまから17年も前の話です。
(そのときの質問はここをどうぞ

産經新聞の編集局次長は、
「拉致疑惑を最も熱心に国会で取り上げてきたのは共産党の議員です。共産党と産經新聞は昔から仲が良くないのですが、これはそういう問題ではありません」
といっています(「横田めぐみさん等拉致日本人救出の会」記録集、1998年より。当時の阿部雅美次長の発言)。

北朝鮮にくわしく、テレビでよくみる重村智計教授も、こういっています。

「(日本)共産党の北朝鮮への厳しい対応は、一九八七年一一月二九日の大韓航空機爆破事件でも繰り返された。共産党は、事件直後の早い段階で宮本顕治委員長が新聞記者に『北朝鮮の犯行である』との判断を明らかにした。/一方、社会党の土井たか子委員長は、赤旗が『北朝鮮の犯行』と報じた一九八八年一月二一日に『ソウル五輪を考えると北朝鮮にメリットがある行為とは考えにくい。(韓国の)発表は納得できない』と、まったく誤った判断を示した」
「(日本)共産党は、北朝鮮が日本に工作員を送るなどの工作活動をしているとの現実感覚を持っていたのに対し、社会党と土井委員長は北朝鮮が多くの工作機関を維持している事実に目をつぶっていたことになる」(『北朝鮮の外交戦略』講談社新書)

よく、日本共産党と旧社会党をいっしょくたにしている人がいますけど、まったくあべこべだったのです。
私たちが北朝鮮と果敢にたたかっているあいだ、自民党や公明党はどうしていたのか。あるいはいまの民主党幹部たちはどうしていたのか。


公明党や(今の)民主党の幹部は、当時拉致犯人の釈放を求め、北朝鮮の金体制への礼賛をくり返してきました。自民党も社会党と先を争って北朝鮮への「窓口」になろうとしてきたものです。

いまは「いさましい」ことをいっている石原慎太郎知事も、25年間国会議員をやりながら、一度も拉致問題で質問をしたことはありません。大臣もそのあいだつとめましたが、拉致にたいして、何の手もうってこなかったのです。

日本共産党がくり返し、拉致問題で北朝鮮を追及しているときに、です。


  *    *    *


私たちのめざす社会主義は、人間が「もうけがすべて」という原理にふりまわされるのではなく、国民が政治と経済の主人公になる社会のことです。

だから、「企業をつぶして国有化しないと社会主義じゃない」とか「一党制でないと社会主義ではない」などとは全然思いません。

議会制民主主義、複数政党制をうけつぎ、経済では市場経済をいかします。
(私たちの綱領の第5章をごらんください)

"なんでもかんでも「市場」にゆだね、もうけることが経済のすべて"、という考えをとらず、市場経済を活かしながらそこに社会の理性が働くようにするのが、社会主義です。これは資本主義社会のいまのなかでもどんどんひろがっていることですよね(環境問題をみてください)。

だから、私は市場経済も大いに使いながら、同時に社会の理性がなんらかのかたちで働くような社会をめざしています。
これは、社会の多くの人が願っていることですし、いまの社会のなかでどんどん生まれている「現実」のものですよね。

そして、社会主義を形作る一つひとつの政策や法律が、はたして「社会の活力を失わせず、しかもみんなにとっていいものかどうか」ということは、かならず選挙で審判をあおぎます。ある日突然別の「社会」になってしまうのではなく、一つひとつを選挙を国民に聞いて、階段をのぼるように一歩一歩新しい社会をつくっていこうと思っています。そして社会はそういうふうにしか変わらないのです。

競争を否定したり企業を否定したりするのが社会主義じゃないんです。むしろそれを人間に役立てるようにするのが社会主義です。


もし経済が「もうけのため」だけでなく、社会に役立つように変わったとしたら、すばらしいと思いませんか(いま、国民の運動で、だんだんそうなりつつあります)。そうすれば、自分が生きていくために働く時間を減らして、残りの時間を自分たちが能力を発揮させるための「自由時間」にあてることができるようになると思います。自由時間がふえることによって、人間はますますイイ意味で発展していくのではないでしょうか。

いまのべたとおり、環境問題や南北問題をはじめ、経済を「もうけ」のために野放しにしておく、という考え方はヤバいのではないかという思いが世界中に広がりつつあります。たとえば地球温暖化防止で二酸化炭素を管理するために、野放図な経済活動ではなく、市場経済を活かしながら人間がきちんと理性を働かせるような方向に動いています。

世の中は、ニセの社会主義であったソ連がつぶれ、「もうけ本位」の資本主義ではなく、「経済に社会の理性を働かせる」社会主義の方向にだんだんとむかっている──これが私の実感です。




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