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部屋とYシャツとわらG

就学相談

我が家の就学相談 1 [ 過去をふりかえっての日記 ]

 昨年のことだが、いよいよ幼稚園を卒園する年となり、我が家にも就学相談の悩みがあった。この3年間で人に慣れてきたとはいえ、行動や勉強で、他のみんなについていくのはさすがに「無理」ということがわかっていた。普通学級で担任がいかに手が回らないか…をよく知っているので、さすがに「普通学級へ」という選択肢は考えていなかった。

 夫婦で検討して、就学にあたっていくつかの思いを確認した。

1 地域の人ともっと関わらせたい。幼稚園で多少遠い所に行ったこともあり、地元の人にはまだ顔をあまり知られていない。ここで暮らしていくために、もっとまわりの人に顔を知ってもらい、理解してもらい、ずっと生活できるようにしたい。

2 いい先生がいるとわかっているところへ行って、少し専門的な教育を受けさせたい。

 地元の小学校の特学(心障学級)は、この数年、評判がよいし、普通学級の子達とも交流があるような熱心な担任の先生がいることがわかっていた。1と2の両方を兼ねる方向として、我が家では第1希望を地元小学校の心障学級と定めたのであった。

 養護学校もバスで行ける範囲にはあったのだが、見学に行って「いいな」と思った人が担任となるわけでなく、そのあたりの運・不運…が未定だったので見送った。このあたりは、うちの夫婦の変わった所で、「下手に見に行ってその気があると思われてはいかん」…とあえて見学や体験入学にも行かないことにした。

 私の住む市の就学相談は「結構、親の意向が通る」と聞いていたのだが、今までの例から見て、養護判定になるか小学校の心障学級判定になるか微妙だな…とこちらは最初から思っていた。

 早々と夏頃に最初の申請に行ったのだが、教育委員会の担当の人は、「自閉症」だと聞いても、「じゃあ通級教室ですかねえ。日頃は普通学級にいて週に一日だけ○○小に行くようですね。ところでバスは一人で乗れますか?」などとのんきにいう始末。

 「いや、うちはそんな甘いもんじゃないんですよ。一口に『自閉症』といっても、知的な遅れのレベルやこだわりのレベルが人それぞれあって、『七色の虹』のような障がいと言われているんですよ。もしかして、通級に行っているのは、アスペルガーとか高機能自閉症の人じゃないですかねえ。うちは知的な遅れもあって多動なので、少なくとも「そこ」には行けないと思います。」とそんな話をこちらが長々とする始末であった…。これでは就学相談ではなくて、こっちが回答者である…。

 行政の担当者がこんなにわかっていないのでは(とてもいい感じの人ではあったが)、多分あとあと教育委員会とたくさんもめて戦うことになるんだろうなあ…と漠然と思った。

 かといって全面対決も困る。この年はちょうど、私の仕事を公立の講師に変えようとしている年で、もちろんこの市もその希望対象なのだ。戦闘モードかお願いモードか、はっきりした方向性が決められない。

 しょうがないので、今後の交渉について、「にこやかに、決してゆずらず」「笑顔であつかましいことをヌケヌケと言おう」…という方針を立てたのであった。

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我が家の就学相談 2 [ 過去をふりかえっての日記 ]

 就学相談の委員(養護学校の先生、小学校の先生、教育委員会指導主事、教育委員会事務担当者など)が9月に決まり、10月くらいにやっと動き始めた。うちのSについても、「本人の様子を見に来る」ということである。

 ぜひ、幼稚園での日頃の様子を見に来て欲しかったのだが、小学校の特学への体験入学をしてみて、それを見たいということである。3人の先生がSの担当になり、朝から観察していた。まあ、本人はいたって普通というか、もっと初めての場所で泣き叫ぶと思っていたのだが、全体的な「ゆるゆるな空気」が気に入ったようでおちついていた。お兄さん・お姉さん達に面倒を見てもらってご機嫌であった。指定の行動をしないことはいつも通り(笑)だが、思ったよりイスに座っていてこっちがビックリした。

 本人が落ち着いてお勉強しているうちに、親が先生達と面接。いろいろなことを隠そうかどうか迷ったのだが、入学となったら習う先生もメンバーに入っていたので、排泄の自立がまだとか、逃走癖があることなどいろいろと正直に言った。(この時点で言うべきかだったかどうかはいまだにどちらが正解かわからない)

 結果は「養護判定」。うちの市の特学は「自立通学が前提」とのこともあり(それは初耳でビックリ)、次は養護学校の体験入学に行ってみてくださいとの電話が後日あった。「後日あった」と書いたがこの日までの期間があまりに長かったのだ。市教委としては「判定をくつがえすだけの時間を与えたくない」のか1ヶ月以上待った気がした。

 ダメとなったので、ここからが、本番である。判定をくつがえすというのは無理と感じられたので、「認定就学」という形で、小学校の特学に入ることを目標にした。まず、法律的な所を押さえておくことと、向こうに「こいつら手強い」と思わせることが大事だと感じた。

 この時に、役に立った本は「障害児の学校選択 やっぱり地域の学校だ」社会評論社(詳しくはフリーページの「自閉症関連で読んだ本」をご参照ください!)だった。もともとこの本は、インテグレーション・インクルージョンの考え方からも障がい児を「普通学級」に入れよう…というものなのだが、そのための方法のノウハウや、行政によってはしっかりとした補助をつけている話などがのっていて、大いに参考になった。

 これを読んでいたおかげで、「うちの子の名簿を都道府県教育委員会に勝手に送らないこと」ということを、口頭と書面で伝えられて、ひとまずハッタリがかませられた。

 これは、特学はそれぞれの市町村教委の管轄、養護学校の多くが都道府県教委の管轄…ということから、市町村が受け入れないと判断すると名簿を都道府県に送り、その結果、養護学校から入学のすすめが来る…という段取りである。お役所仕事だから、一度この段階になるとくつがえすのが難しいと聞いた。そこで担当者だけでなく、ことあるごとにこのことを確認したり、市教委宛だけではなくて、市の教育長宛にもこれを出して、「面倒くさそうな親だなあ」と思わせることに成功?したのだった。

 それでいて、会って話し合う時や電話では、いつも、「笑顔で強気」 「ていねいすぎるほどの敬語」 で応対。そのうち「就学についての理由書」なる長い文書を作成して「なぜ地域の学校にこだわるのか」を切々と訴えかけた。

 また自分が養護学校の教諭だったことも話して、「専門家」である(本当はちょっとだけしかいなかったからそうでもないのだが)ことでプレッシャーをかけた。むこうもあきらめてか「勝手に名簿を送るようなことはしません」と確約し「あとは条件闘争」という気になってくれたようで、妻だけで市教委との話し合いに行った時も、「どうですかねえ、S君の場合はあちらの方が本人のためでは…」と一応指導主事さんも言うものの、「どうせ、うんとは言わないんでしょう」という感じで、あきらめムードだったらしい。この日は私が楽しみにしていた「ハッタリかまし」や演説を、すっかり妻が代わりにぶちかましてきたらしい…。帰ってきた妻がなんだかすっきりしていたのを覚えている。

 こうして年が明けて、「どういう条件をクリアすれば行って良いのか」という「条件の検討」に移っていった。でも、年が明けてもまだ行く学校が正式には決まっていなかった…(続く)。

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我が家の就学相談 3 (名言編) [ 過去をふりかえっての日記 ]

 前回書いた「市教委との話合い」をしているうちにも、小学校への「体験入学」は毎月参加していた。うちの子もふくめて、新1年生が「自閉トリオ」になるということもあって、同時に3人いるとどういう感じなのか…とかいろいろとやってくれていた。

 心強かったのは、特学の先生の方は「春に当然3人ともいる」こととして計画してくれていたことだ。嫌がっていたのは行政だけで、現場の方ではすっかりOK…だからこそ、こちらもがんばれたのである。校長先生も最初はかなり乗り気だったが、市教委とはもめたくないようなので、ちょっとテンションが下がっていった(笑)。

 そんなある日の体験入学(1月下旬?)は、ほぼ最終決定の会…ということもあって、大変な人の数だった。いきなり会議室で6人くらいの背広組の大人と面接。「場の変化に弱いので、ちょっと…」と前フリはしておいたが、前半は何とかその部屋に入っていられた。「背広の大人に囲まれるなんてこういう感じは慣れていないし、これは私だって緊張しますよ。前もって言っていただければ本人に伝えたのに」と冗談交じりのイヤミもかましておいた。

 出た条件はこのあたりである。

1 送り迎えは家庭の責任でやること

2 入学当初、親が学校に来て待機する。慣れるまでの1ヶ月くらい、補助する。様子によっては補助の期間の延長もありうる。

3 行事などで状況に応じて親が補助に入る。

1・3についてはこちらでも「できる」と言ってきたことなのでOK。
2については、今までこちらから「人を雇って欲しい」または「こちらで用意してもいい」から専門家を…とお願いしてきたことだ。

 しかし、向こうはあくまでも「親にお願いしたい」とのことで譲らない。
なぜかは…教員としての予測だが、「親がやっている」ことには学校の責任にならないが、「他の人がやっている」ことにはたとえ親が用意した人にしても学校側や市教委の責任が生じるからである。ようは責任逃れもあったり、あるいは「前例を作りたくない」という気持ちがあってのことなのだろうから、これは変えるのは無理そうである。

 でもここで、私が怒って、つい言ったことばが…

「この1ヶ月という期間、私が補助をやるとなれば、その期間からして、来年度の1年間の講師の仕事を逃すことになります。これは収入的に痛いことです。さらに親がついても何の利益も生みませんが、もしこれを教師志望の若者にやってもらえば、その人を育てることにもなるし、教育界の雇用を生みます。そちらがイヤなら、私が講師で稼ぐ収入を、Sの補助の方に流してもかまいません。そうすれば、教育関係で二人分の雇用と経験が生まれます。私が自分の子の世話を学校でしても、何にもなりませんが、ここに集まっている方々は、こういうことを考えるべき立場のみなさんなのではないのですか?」

 なんだか話が大きくなりすぎたし、空気が張りつめてきたので、最後は笑わそうと思ったのもあって、冗談交じりに

 「ここで、私の1年間の仕事を奪うのは…… 『教育界の損失ですよ』…」

 妻は思わず「ブーッ」と吹き出していたが、どうも他のみなさんは「まじめ」に受け取ったようで、言ったこっちが恥ずかしかった…。


 さて、S本人は、いろいろな話し合いの間もマイペース。回転するイスでまわったり、足をテーブルの上に時々置くくらい…最後はイスで走り始めるイタズラをしていたが…。

 その後、本人は教室でのびのび遊んでいた。が、背広組のみなさんは、肝心な本人の方は見ていない。もはや、審査というよりは親との条件交渉だけのようである。その日、いかに特学のクラスにとけ込んでいるか、ぜひもっと見て欲しかったのだが…。

 …と、思っていたのもつかの間、そのうちSは図書室の戸棚の上に登ったり、窓際の手すりを綱渡りし始めた…やばい…それでも大人は気づかないようだ。見られなくてホッとした。


 この日はこれで終了。そして後日、校長から連絡があった。
 「1年分の仕事を棒に振る」…のせりふが効いたようで、向こうが折れてくれて、「入学から2週間のみ。延長なし。」ということになった。 おかげでこちらも仕事ができる(ちなみに偶然にもその市で働くことになり、「教育界の損失君」の実力のほどがばれることとなった)。

 そして、先ほどの条件などを認めた内容をこちらで書面作成して、校長に提出。

 校長から入学の許可を市教委に具申して、3月になって、やっと入学通知書を受け取ったのであった!

 ただの一枚の紙切れだが、とても重い物に感じた。


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我が家の就学相談 4 (追加編) [ 過去をふりかえっての日記 ]

 時期が時期だけに、今まさに就学相談…という方もいるかもしれず、このシリーズを参考にするという方があるかも…と余計な心配をして、蛇足ながら追加編を。

 我が家の就学相談を見ていると、「養護学校に行かせたくない」と色々やったような感じなのだが、私は養護学校の否定論者ではない。むしろ、「ていねいな対応」をしてくれる担任に当たれば大きな教育効果があると思っている。

 うちの場合は、たまたま地元の小学校の先生を以前から知っていた…ということがあって、そこへの絶対的な信頼があったので、いろいろ行かずに「地元の特学」と勝手に決めたのだった。でも、それは特殊なケースであって、普通は行きそうな所をいろいろ体験してみることが大切だと思う。

 だから、その子の様子に応じて、養護学校の方がずっとずっといい場合もあるはず。それこそ、特学の先生がやる気なかったり、評判悪かったりの時は、かえって普通学級の方がいい場合だってありえるのではないかと思う(そちらの方が援助の手が多い時もある)。子どもの様子と学校の様子…はたまた区市町村教委の姿勢…などそれぞれのケースバイケースだと思う。

 養護学校中学部での様子でいうと、小学部の時から養護学校にいる子の方が、いろいろな身の回りの自立ができている傾向があった。力はあるけど、まわりの環境が色々変わるのが苦手…というような子は、むしろ静かにじっくりと取り組むことでものすごく成長する時もある。

 でも静かだと思っていたら新しく入ってきた子が一日中うなっていてすっかりペースをかき乱す…というようなこともあるので、まわりの生徒も担当の教師も「運だめし」のような部分が相当あるなあと思ってしまう。

 入学…がひとつの節目だと思うので、たくさん悩んで、こうと決めたらがんばってください!(なんかえらそうだな)


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