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部屋とYシャツとわらG

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2 潜入! 養護学校(過去日記より)

 いよいよ年度末の忙しい時に転勤先の養護学校の校長との面接に出かけた。忙しいからこそ、「夜の7時からとかでもいいから○日か△日に…」とお願いしているのに、勝手に「×日の8時10分」とか指定してきたのである(今思えばその後の彼との確執はこの時から始まっていたようだ)。

 その日は合唱コンクール明けの最初の朝…つまり勝っていても負けていてもフォローが必要な朝学活だったのでどうしても行きたかったのだが、その電話を受けた中学校校長が勝手に約束してしまっていたので仕方なくその時刻に行った。(ちなみに合唱は負けたのでそれこそ行って労をねぎらうべきだったのだが…午後にそんな話題をし始めてもおまぬけだった)

 行く時刻にあわせて電車やバスの時刻を調べていて、かなりショックなことが発覚!! 思っていた駅と違うのだ。駅名から考えて(勝手に)ここだと思っていた「2回の乗換で行ける所」と最寄り駅が違ったのだ。計4回の乗換、所要時間は片道2時間25分…。さらにショックなことに、うちから始発のバスに乗ったのでは間に合わないことがわかった。つまり雨でも何でも自転車で駅まで行くしかない…。でもその辺りは「まずその世界に入る」ための修行としてこの時はあきらめた。

 面接は普通におこなわれたが「この校長切れ者だな」という印象だった。ただし、この時点では善人か悪人かわからないので、そう気には留めていなかった。でも変だなということが2点あった。

 1点目は4月1日まで…という宿題を出そうとしたこと。学校が関わって出した出版物を買わされた上に、それについての意見をレポートにまとめてこいと言うではないか…。なるほどその学校のやってきた活動に興味はある。でも3月31日までは他校の先生なのだ。ましてや、引き継ぎや荷物の移動その他で普通は忙しいのだ(ちなみにその年の私は春休みは3月31日まで前任校で働いた)。それなのにこちらの都合もお構いなくそういうことを要求するのは「おかしい…」ととっさに思った。(でもこれは多分、やる気があるかどうかの踏み絵なのだろう) 自閉症に関してのレポートということで、ちょうどその日持ち歩いていた自分の研修報告書(このHPからも読めます)を出してそれで済ませてもらうこととなった。(ちなみに他のみなさんもそれぞれ宿題を出されていたことが後日判明)

 2点目は配属。私は免許は小・中・高とあるのだが、特殊免許を持っていない(取ってから来るのは非常に難しく、来てから取る人が多い)。息子が自閉症で慣れていたり、多少は勉強したとはいえ、この世界では初心者なのだ。なのに、仕事の分掌もクラスもその年のプロジェクトになるようなチームに入っているのである。「少しずつ勉強したいので困る」と言ったのだが「もう決めて動き始めているのでこれでお願いします」と一蹴された。

 この辺りの内部の事情は、4月1日の初出勤から少しずつ解け始めるのである…。

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 正規の職員としていったはずなので「潜入」ってのはまちがってるなと自分で気がついたのだが、前々回に「1」としてしまったので「2」まではこの題名でお許しを…。

 2003年4月1日から勤務がはじまり、確か4月6日が入学式・始業式だったと思うので、それまでの数日間は生徒なしの状態。それなのにこの時点ですでにカルチャーショックの連続であった。

 まず初日、朝、校内で会う人(つまり教職員)にあいさつをするのだが、いくらまだ全体で紹介されてないとはいえ、この日知らない顔があれば新しい人に違いないのに「あいさつを返してくれる人」が「半分」しかいなかったのだ! 知的障害の小学部・中学部・高等部とあって職員は100人を超える大所帯なので、「ずっとことばを交わさずに終わる人もいる」とは聞いていたが、声をかけられたらこたえろよな…と思った。もちろん、にこやかに、名を名乗って「よろしく」と言い合えた人もいたのだが(主に若い人)。まあ十数人も新しく職員が入れ替わったので仕方ないのか。

 職員室で、用意されたいすに座ってみてまたビックリ。目の前の机は、新しめなのだがなんだか小さいような気がする。聞けば、職員数が多すぎて部屋に入りきれないため、数年前に「小さいサイズ」で新調したとのこと。油断していると道具が人の机に雪崩を起こすのでこれには後々も閉口した。でもサイズ以上に場所に驚いたというか、スペースがなくて、ろうかの壁の方とか中庭の窓の方に向いて座る席があったのである(全8列の両サイド)。まさに窓際族である。(でもこれは後々うらやましい席となった)

 さてお昼…普通は歓迎もふくめて、親睦会で弁当が出たり、学年とかで食べに行ったりするはずなのだが、組合の歓迎会と重なったこともあってか何もなく、知らされていなかった私は一人で外食となりちょっといじけた(あとでわかったが同じ学年の新しい人で、同じく「一人外食」した人がいて「いじけた」と後日聞いた)。

 その後の数日間のうちに、会議・会議また会議と目白押し。まあこれは中学校だってそうなのだが、その会議の中身が違うのだ。特に職員会議。これは学校長の演説会である。マイクで延々と彼の考えを聞かされ、イヤミを言われ、ねちねちと言い続ける…やる気をなくさせるのが上手な人である。さらに質問というか意見とかを言う余地がないような会議である。今や職員会議は法的には「校長の諮問機関」とされて「決定権」は校長にあり教員の意見を参考に聞く…みたいな位置づけにされてしまったのだが、それにしてもこれはひどい…。校長がどう決めようが学校を動かしているのは俺たちだ…みたいな気概が感じられないのである。その一方で学部会、分掌部会、学年会などは意見は出せるのだが会議そのものが機能的でなく何となくいろいろな方向に意見が出て、何が決まったのかよくわからないまま終わってしまった…。

 それでもまだなかなか自分たちのクラスの準備(本当はこれを早くやりたい)に取りかかれない。古い備品の処理とか、教室の入れ替えの大荷物運搬など、学部の仕事として重労働が待っていた。果てしない距離を移動したりしながら思ったこと…「野球部のみなさん、今まで何年間もありがとう!」 そう今までは春休み中や放課後でもいつも彼らがいて、大体の場合「よし、1年生は筋トレだ!」のひとことで手伝ってもらっていたのだ。バレー部女子などは何かお手伝いするたびに「よし、これで部の予算が少し増えるぞ!」などと顧問に完全にだまされていたし…。養護学校には若い先生が多いとはいえ、一人ひとりの運動量は相当なもので、おっさんの私は、生徒と共に学ぶ前にすっかり筋肉痛になったのであった…。


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