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日常生活の謎解き

2015.07.18
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1992年当時の播但線では50系客車が主力。3両、4両単位で運用され、ラッシュ時には2本つないだ8両編成もありました。客車も姫新線と共通運用でした。

1992年の播但線
1992年の播但線 posted by (C)awajisan

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1992年の播但線
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1992年の播但線
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客車列車最終日の訪問。今なら数多くのマニアが殺到しそうだが、当時はひっそりとしたものだった。12系客車での運行はダイヤ改正を待たずに先走って気動車に置き換え済み。七尾線電化で余剰となった車両や、北陸本線米原口の気動車が転配がされ、置き換え必要な各線に複雑に振り分けられた関係でいかにも寄せ集めといったカラフルなカラーリングで運転されていた。キハ58,28は旧所属の塗装のままでロングシートに改造されて5500番台を名乗り、転属当初はロング2、3両とクロスシート車1両の3両単位で運用されていた。Wikipediaに記載はないが高岡色のキハ45も半年近くに渡って利用されている。

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最終便の客車列車。寺前駅ではファンの手作りサヨナラ看板が取り付けられた。折り返しの時間を利用したものだが、当時はおおらかな時代で機関士に看板取り付けの意を伝えると二つ返事でOK。ご自身も記念写真撮ってほしいなんて言われるようないい時代だった。現在では立ち入り厳禁と言われそうな構内からの撮影もOK。この列車で姫路へと戻った。

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Last updated  2015.07.18 10:22:07
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