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テーマ:好きなクラシック(2324)
カテゴリ:音楽
今日は、久しぶりに日本音楽学会の関東支部定例会に行ってきました。 このブログを読んでるみなさんは、知らないか、忘れている かもしれませんが、ワタクシ、れっきとした日本音楽学会会員なんでございますョ。
今回は、東京芸術大学、いわゆる「芸大 」が会場で、『ライプツィヒのメンデルスゾーン』というタイトルでのレクチャーコンサートが開催されました。しかも、会員は無料!なんです。 今年はメンデルスゾーンの生誕200年。世界各地でメンデルスゾーンに関するイベントが開催されています。日本でも、講演会やコンサートなどが多々企画されているようですが、今回の音楽学会の企画、ひと味違いますョ~。メインは、今回初めて校訂されたヴァイオリン・ソナタ ヘ長調(1838年初稿版)の校訂報告と演奏会。その前に、ブライトコプフの新メンデルスゾーン全集から、メンデルスゾーンがバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータに伴奏を付けたものが演奏されました。あのシャコンヌなんか、メンデルスゾーンによる伴奏に加え、フェルディナンド・ダーフィトによって演奏された際のヴィルトーゾ的な加筆などもあって、まるで別な曲のようです。和声的で華やかなピアノ伴奏、現代の常識とはまったく異なるアクセント、まったくニュアンスが異なるフレーズの解釈、そして、ところどころカデンツァ風に伴奏なしで演奏されたりするあたりも、バッハの作品を当時の音楽のスタイルとの重ね合わせで、何とか甦らせようと苦心したメンデルスゾーンの姿が垣間見えます。興味深いですね。これらの曲の間に、ブゾーニ編曲のバッハのプレリュードとフーガや、メンデルスゾーン作曲のプレリュードとフーガ ヘ短調なども演奏されました。メンデルスゾーンのプレリュードとフーガは、相当難しそうな作品ですが、この曲を、クリスティーネ・ショルンスハイムさんは、実に見事に弾ききりました。ちょっと鳥肌ものでしたね。 休憩の後、ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調の1838年初稿版、1839年改訂稿版(ともにベーレンライター)、それに、メニューインによる1953年校訂版の3種類の楽譜の抜粋をみながら、今回1838年初稿版を校訂した星野宏美先生による校訂のいきさつ、メンデルスゾーンによるヴァイオリン・ソナタ作曲の経緯と改訂の様子、校訂上の問題点などの報告がありました。こうして3種類の楽譜を見比べてみると、メンデルスゾーンがあれこれと悩みながら作品を作り上げていった様子が伺われて、なんか親しみが持てる感じもします。 メンデルスゾーンは、自分の作品を、初演後もかなりネチッこく改訂したことが知られているそうです。今後は、ブルックナーみたいに、一つの作品でも、18**年第~稿とかいうのがいくつもできてきて、演奏ごとに表記されるようになるのかもしれませんね。 それにしても、こうして何度も改訂するのって、メンデルスゾーンの性格的な特性もあるんじゃないでしょうか? モーツァルトなんかは、自筆の楽譜に訂正した跡すらほとんどないそうです。だから、一つの作品に複数の版があるというのはごくごく限られた場合ですよね。ベートーヴェンも、『フィデリオ / レオノーレ』などを除けば、最終稿は1つのものがほとんどです。偉大な作曲家たちと自分を比較するわけではありませんが、自分なんか、一回書き上げて出版された文章や図なんか、もう一回手を入れようとか、まったく思いませんものね。一回終わったら、もう次を書くのに専念するって感じ? メンデルスゾーンやブルックナーみたいに、何度も何度も書き直す人って、ホント、尊敬しちゃいます。完璧主義ってことなんでしょうかね?? ところで、メンデルスゾーンのこのヴァイオリン・ソナタ ヘ長調は、長らく忘れられていた作品で、名ヴァイオリニストのイェフディ・メニューインによって再発見され、校訂され、作曲から100年以上も経った1953年に出版されました。メニューインは、1838年初稿、1839年改訂稿の自筆譜、あるいは、パート譜を両方とも見ながら校訂を行ったようで、一部の部分では1839年改訂稿、別の部分では1838年初稿を採用するなどしているようです。この辺も、演奏家としてのメニューインの感性が感じられ、大変興味深かったです。 メニューイン自身が演奏している録音なんかがあったらいいのにと思ったんですが、自分も探しましたが、みつかりませんね。残念です。 星野先生の解説のあとは、いよいよヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 1838年初稿版の演奏です。今回のコンサート、ヴァイオリンは1773年に作られたもの、ピアノは1839年頃のコンラート・グラーフという、メンデルスゾーンが活躍していた時代に使われていた楽器が使われているのもすごいですよね。 ヴァイオリンを演奏されていた平崎真弓さん、ピアノのクリスティーネ・ショルンスハイムさんとも、オリジナル楽器も、モダン楽器もこなせる演奏家のようです。平崎真弓さんは、バッハはよりバッハらしく、メンデルスゾーンはメンデルスゾーンらしく、より現代に近いスタイルで演奏されていました。こうした使い分けができるというのもすばらしいですが、欲を言えば、バッハに関しても、メンデルスゾーンやダーフィトが弾いていた様子を彷彿とさせるようにもう少しモダンに弾いてもらってもよかったような気もしました。すべての曲目とも、早めのテンポを好んだメンデルスゾーンにちなんで、さっそうとした早めのテンポと、歯切れのいいスタッカートぎみの奏法が設定されていたのはすばらしかったです。 アンコールには、シューマンがバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータに伴奏を付けたものが演奏されました。メンデルスゾーンの華やかで趣向を凝らした伴奏に比べると、シューマンの伴奏はとてもおとなしいものでした。きっと、少人数のサロンコンサートなどで、手を痛めて作曲と指揮に転向していたシューマン自身のピアノで演奏されたのではないかなぁ? などと想像力を膨らませて聞かせていただきました。 今回のレクチャーコンサートを企画された山梨大学の荒川恒子先生は、プロ、アマチュア問わず、「作曲家の意図」とか、「楽譜に忠実に」とか、「楽譜に書いてある通りに弾きなさい」と何の疑いもなくいっていますが、いったいそれはどういうことなのか? 作曲家自身がこんなに揺れ動いているし、それを校訂する作業にもこれだけの問題があり、では、いったい何をどうしていったらいいのかという点を、ユーモアを交えて力説され、とても考えさせられた定例会でした。 バッハ:チェンバロ協奏曲集 ショルンスハイム お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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