江の島探検 ①
1月26日(土)昨日72候の「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」のことに触れましたが、早速、今シーズン最強の寒気が日本上空に雪崩れ込んできました。天気予報では、新潟県山間部で一晩で100cmの雪が降る所も・・・。少なくとも節分、立春まではこの気象状況が続きそうです。インフルエンザも猛威をふるっています。暖かくして過ごしましょうね。藤沢の名店「そば酒房 陽ざ志」さんを辞去した後、このまま車を運転して帰宅の途に就くわけには参りません。美味しいお酒をいただいてしまいましたからね。酔い覚ましを兼ねて、今回も江の島に向いました。藤沢駅の南口から江の島行きのバスに乗ります。時刻は14時22分。 ちょうど26分発の便がありました。このバスは江の島大橋を渡って、江の島の中まで連れて行ってくれます。江ノ電や小田急で行くよりも歩く距離が短くてすみます。江の島は何故か不思議な魅力を放っていますねぇ。昭和の香りが満載ですが、若い人たちも楽しそうにしていますよ。気軽に行ける小さな島ですが、一日遊べる見所も幾つかあります。魚釣りをする場所もありますし、大きなヨットハーバーなども完備されています。陸側の片瀬側に広がる砂浜では、サーファーが大勢押しかけます。夏には海水浴を楽しむ人で溢れています。奈良時代には修験道の開祖である役優婆塞(役小角)が、平安時代には真言宗の開祖の弘法大師が、参籠し修行したと伝わります。鎌倉時代以降は、源家や北条家を始め多くの将軍、御家人が参拝し、その時々の為政者から聖域として保護されてきました。参拝者のための宿坊も門前に軒を連ねていたそうです。宿坊の中でも岩本院は有名で、現在の旅館「岩本楼」の前身にあたります。昔の人々、特に江戸時代には、お伊勢参り、大山参り、遠くは金毘羅参りなどは、物見遊山の観光も兼ねていて、庶民にとっては憧れのレジャーだったのです。特に、単なる観光旅行は許されない時代でしたから、参拝を隠れ蓑にした物見遊山の旅は、それはそれは興隆を極めたと伝わります。江の島詣は大山参りとセットにされ、やはり大変な人気があったそうです。お伊勢さんは江戸からは遙か遠く。徒歩しか交通手段の無かった時代は、大変な時間と多額の旅籠代がかかりました。往復で早くても一月近くはかかったでしょう。それに比べると、大山と江の島、ついでに鎌倉を回っても、一週間ぐらいで済むでしょう。そのようなことから、相模湾の真珠?江の島は、古くからの筋金入りの大観光地なのです。このような歴史的経緯もあり、今でも人気観光スポットして君臨しています。江の島が干潮時に歩いて渡れるようになったのは、1,200年頃からと記録にあるようです。 ちょうど鎌倉幕府の成立前後です。明治時代の初期まで島に渡る手段は、引き潮時に歩いて渡るか、渡し船に乗るか、人足に背負われるかの何れかです。何処でも同じですが、お客の足元も見るゆすりたかりの類が横行していたそうです。江の島に初めて橋が架けられたのは、1891年(明治24年)のこと。この橋は非常に簡易的なもので、「江の島桟橋」と呼ばれていたそうです。台風などでは度々損壊し、狭くて欄干が低い橋の上から人が落ちるのは日常茶飯事であったとか。とかく長閑な、おおらかな時代のお話です。1948年(昭和23年)には、本格的な木の橋が架けられ、「江の島弁天橋」と命名されました。1958年(昭和33年)にコンクリート製の歩道に架け替えられ、1963年(昭和38年)、車道専用の「江ノ島大橋」が横に架けられました。現在も、その両橋で陸側の片瀬と江の島は繋がっているのです。「江の島弁天橋」と「江ノ島大橋」の位置は、「江の島弁天橋」とほとんど同じです。途中でくの字に曲がっているところも同じです。このくの字は歩いているとなかなか気が付かないですね。 不思議なものです。人が多いせいなのか、キョロキョロしながら歩いているせいなのか、真直ぐに通っているように感じてしまいます。大潮の干潮時などには、橋を渡らなくても砂州を歩いていけるかもしれません。しかし歩いて渡ろうとする人などは、一般観光客では皆無でしょうね。新年ですから江島神社に初詣という方々も大勢います。外国からのお客様もいます。江島神社の参道も境内も含めて、島全体がテーマパークです。 何度行っても何か新たな発見があり飽きませんね。それでは江島探検に出かけましょう。 ナビゲートしますよ。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り