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カテゴリ:スポーツ
アマゾンへ行く プロローグ □ 2008年、日本の高校に在籍したランナーが五輪の金メダルを獲得したとして陸上界ではささやかな話題になったが、そのワンジルの経歴にも「ガル高」の文字がある。 □ 貧しい家庭に生まれた若者たちが、自ら走る才能に賭けて努力を続け、母国の平均年収の数倍にのぼるような金銭を手にしている現実があった。 第一章 助っ人ランナーの素顔 □ お母さんににとって大切なのは、僕が元気で、ご飯を満足に食べられいて、家族にお金を送ることができるということだから。僕はそれで十分なんだ。 □ 走ることは働くこと □ 彼らが走ることで生計を立てようと考えた時、基本的に3つの道が存在する。 ・世界主要大会での賞金だ。 ・アメリカの大学チームへの所属である。 ・多くのケニア人ランナーが目指す日本ルートである。 第二章 「人買い」と呼ばれた男 □ エージェントとしての小林は、ケニアでの選手発掘から、日本での受け入れ先との交渉、ビザ申請などの書類手続き、さらには来日後の生活サポートまで、一貫したサービスを提供した。 □ 一人の選手に対して年間の顧問料として150万円を設定し、年に一回の来日サポートも含めた包括的なパッケージを作り上げていた。 □ ムファエは丸川の紅茶ビジネスが資金源で、紹介先からの手数料はとっていなかった。お金の流れがあるとすれば、紹介先の高校などからチーム運営のために寄付金を受けととる程度だった。 第三章 幻の名門校「ガル高」を探して □ ガルという学校は確かに存在していたのだ。そして、ある時期までそこが若く才能のある陸上ランナーの卵たちが集まる場所になっていたのも事実だ。しかし、日本で活躍したケニア人ランナーたちの多くは、その学校を恐らく卒業していない。 □ ガル高をめぐる謎は、異なる文化圏の人々が出会い、関係者たちが情熱と苦悩の末に生み出した、極めて人間的な営みの産物だった。 第四章 日本人監督の葛藤──山梨学院、仙台育英、世羅 □ ケニア人留学生が、総力だけでなく姿勢で影響を与えることは、まさに上田が目指した融合である。 □ まだ十代の子供たちですから、一人だけというのはあまりに酷です。仲間と一緒に生活できるように、男女とも二人づつ受け入れました □ 世良高校は、日の丸・君が代もん愛による深刻な危機から、ケニア人留学生を起爆剤にした駅伝復活を通じて、再生を果たしていった。 第五章 駅伝スター「その後」の明暗 □ カロキは、「ケニア人は貧しい人が多い。だから、家族だけでは育てられない。社会全体で育てるしかないんだ。お金持ちに生まれた人は、貧乏を知らない。でも、僕は知っているから。本当に困っている人の気持ちがわかる。」 □ アスリートとしての実力もさることながら、努力と才能で稼いだお金を別の形に変えながら、資産を拡大させている。 □ ケニアでは父親の存在が決定的です。だから父親がしっかりしていれば、子供は正しい価値観を身につけ育ちます。 第六章 商品化するランナーたち □ イテンの町は、もしかすると世界一ストイックな人間が集まる場所かもしれない。 □ トレーニング科学の進歩と商業システムの洗練が同時に起こり、ケニアの小さな町を世界のマラソン市場へと直結させる巨大なパイプラインが完成した。 □ ケニアの陸上はキャンプというシステムによって強化され、それがビジネスと結びついて拡大し、さらに多くのお金を産む装置になった。そのシステムが拡大再生産されることで、今なおトップに君臨し続けている 第七章 走り屋たちの未来 □ 神村学園の有川は、「タビタには、とにかく日本語をしっかりと覚えて、必ず日本語でインタビューに答えられるようにしようと思いました。日本の文化を理解し、日本語を学ぶ。あくまでも日本に学びに来ているということを忘れないようにしようと。」 □ 外見の違いから何もかも異なるように思えるけど、実はケニア人も同じなんだって。そうすると、恐れずに挑んで行けるようになるんです。 □ 日本人を本当に強化しようと思うんだったら、規制は無くすべきですよ。最長区間の一区で日本人エースランナーたちが留学生に向かっていく。それが一番強化になるはずですから。 □ 感情任せの近視眼的な決断が、多くの悲劇を生んできた。 あとがき □ 視えるようになると、世界の見え方が変わる お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2026/05/19 06:54:00 AM
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