2005/03/26(土)17:02
角膜ぺろん
昨日はゼミの追いコン。
すごく楽しかったけど、いろんな意味でいっぱい泣いた。
まだ実感湧かないけど、うちらのゼミの同期には学年が一つ上の子がいる。
留学してたから、ゼミはうちらと一緒にやってたけど、4年生。
つまり、卒業。。。
もう4月の授業からいないなんて思えない。寂しい。
彼女はすごくパワーがある子で、私と一緒でバカだけど、でもすごくデキル子。
そこがすごく魅力的。
すごく憧れの存在。
社会人になっても、そのパワーで周りを引き込んで頑張ってほしい。
私が願わなくても、絶対やる子だけどねw
あー。1年て早いなー。。。
もう一つ、こっちはだんだん実感が湧いてきたことを。
Iと別れたこと、受け入れてきた。
一昨日はすっごくやばかったけど、昨日カラオケですごく泣かせてもらったし。
ていうか、いじられてたのか。。。ブー。
まぁ、でも結果として、少しすっきりしたから感謝かな☆
ケツメイシの「忘れないで」だっけな、すごく私の気持ちを代弁したような歌詞だったなぁ。
んで、最後に「角膜ぺろ~ん」ってなった。
先輩の色紙の角に目を直撃させちゃった。。。
そのうち治るだろーって思ったら、こりゃまたずーっと痛い。
目にゴミが入ったときの痛さが常に続いてる痛さ。
朝、眼科につれてってもらって診察したら、
「角膜ぺろ~んってなってますね」って!!!
私、ほんとに失明するんじゃないかと思って、
初めて「恐怖」を味わった。
声も涙もでない。どうしていいかわかんなくて、
立ってられなくて、血の気が引いて、その場でしゃがみこんだ。
ほんとにほんとにあれを「恐怖」と言うんだろう。
人が死を宣告されたとき、どれだけの「恐怖」を感じるんだろう。
そう思ったら、私が味わってる辛さなんて可愛いもんだと思った。
だって、涙はでる。悲しいと認識できる。
あのどうしていいかわからない「恐怖」に比べれば、どってことない。
目が見えることの幸せ、それをすごく感じた。
戦争や貧困で目が見えなくなったり、体の自由が利かなくなった人は、
どんな「恐怖」を味わっているんだろう。
逆に「生きている」ことの幸せを感じるのだろうか。
人に優しくできるのは、自分に余裕があるときなんだと改めて思った。
目がなかなか開かなくて見えなくて、そしたら人に対する思いやりとかきえてた。
電車のいすは空いたらかなりの勢いで座ってやった。
周りにおじいさんおばあさんがいるかどうか確認せずに。
自分は小さい。
それを改めて感じて、自分の就活感、それにやっぱり恥ずかしさを感じた。
自分に余裕があるから、人に優しくしたいと思うんだ。
これは偽善?役に立たない?
…う~ん
これは考えても答えは出てこない。
自分が感じなきゃいけないこと。
人から聞いたってダメだ。
自分で確かめなきゃ。
私ができることは、まず、何を求めてるかを感じること。
そして、偽善だとしても、「役に立つ・意味のあること」をすること。
やっぱり、海外に行かなきゃだめだ。
英語頑張んなきゃ。
あー。目が今ものっそい腫れてる。
ひどいゼミ生には「水かけられたアンパンマン」て言われた。。。
しどいっ!しどすぎるっ!…でも、ものっそいウマイこと言ったなって思った…。
明日の筆記いけるかな。。。