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しげぞーの他人には厳しく

何が信心だよ、何が神様・仏様だよ、けっ!

何が信心だよ、何が神様・仏様だよ、けっ! 2003年5月21日(水)


 一昨日宝くじについて書いたが、再び書く。
 サマージャンボ宝くじが発売になった19日、東京のある宝くじ売り場には大勢の購入客が並んだという。多くの当たりくじが出ているためだという。よく考えれば、どの宝くじでもどこで買っても当たる確率は全く同じはずなのである。こんなことは言うまでもない当然のことなのである。
 しかし多くの当たりくじが出ているとしてそういった売り場に出向いて買う人々がいる。ひとことで言えばゲンをかつぐということになろうが、これはどうだろう。そういった売り場から多くの当たりが出ているということはまず間違いなく多くの宝くじが売れているからに違いなく、当たった宝くじだけでなく、売り上げ枚数まで公開したならその関係に特筆すべきことなどないはずなのだ。これは売り上げ枚数が多くなれば多くなるほどそうなる。
 こんなことには考えが及ばず、特定の売り場に並ぶことになる人々もいるが、確率など超越したものがあるとの信念がある人はそれでも良い。また確率など何時何処で買ってもすべて同じと割り切る人もいるから、どんなに小さな売り場でもどんなに田舎の売り場でもやっていけるということもある。世の中うまくできている。

 ところで多くの大当たりが出ているとの理由から大きな売り場に並ぶ人は、実生活でもあまり確率や理詰めで考えることはしない人のような気がしている。これは信心深い人と言い換えることが出来るかもしれない。これに対し、小さな売り場で過去にこれといった当たりが出ていない売り場でも平気で買ってしまう人は確率に精通している人で、また何もかも理詰めで考える傾向にある人、言い換えれば唯物論者といったところか。
 世の中どちらも居て良い。私に言わせればどちらかがあまりに幅を利かせるとろくなことがない。無神論者が多くなればゆとりがなくなるようにも思え、有神論者があまりに多くなれば逆に争いが多くなるような気がする。
 うちの社長のように日によって相手によって敬虔(けいけん)なクリスチャンにもなれば、熱心な仏教徒にもなり、それでいながら普段は「何が信心だよ、何が神様・仏様だよ、けっ!」などと毒づくような輩はさすがにどうかと思うが、極論すれば無神論者・有神論者のどちらもが微妙なバランスで存在することが平和の秘訣である。




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