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しげぞーの他人には厳しく

しげぞーの他人には厳しく

動物園の飼育係だって嫉妬するのだ

タマちゃんって本当にあれでいいの? 2003年5月25日(日)


 いつもおちゃらけの日記ばかり書いているわけではないということを証明したい。そこで今日の日記は生態系の話である。
 長良川河口堰建設は嘘で固められた壮大な無駄遣いであることは広く知られているが、その反対運動の際に理由の一つとして叫ばれたのが「生態系を崩すな」ということだったのである。実際には「インチキで無駄遣いをするな」というのが何よりも正論なのだが、この希少種や生態系をその反対理由として絡めると意外に効く。大きなプロジェクトがこれらの理由のために変更になったこともある。しかし私に言わせれば、この希少種や生態系という理由は実に曖昧で、ともすれば忘れられてしまうことにもなる。
 しげぞー楽天日記でも何回か取り上げたことがあるタマちゃんであるが、これなどまさに生態系という観点からすれば、おかしな取り上げられ方をしている典型的な例なのである。
 アゴヒゲアザラシは北海道近辺に現れることはあるが、基本的に北極圏に生息する海獣であり、貝や蟹や海老を食べている肉食獣のはずなのである。そんな肉食獣が本州の川に現れたなら、生態系が崩れることはないのかという声は聞かれない。無視できるほどのものであるかもしれないが、少なくとも議論はされるべき話題であるはずなのである。「タマちゃん、可愛い」などと見物ばかりしている場合ではないはずなのである。
 しかしそんなことを言ったなら、せっかくのほのぼのとした話題が変な方向に行きかねない。コメントする人間にしても生態系が云々などと言い出したら、テレビ局の方針とは違うとのことで嫌な顔をされることにもなりかねないのか、誰も疑問を呈さない。
 学識者の中にはそれを察してかどうか「魚は食べていないのではないか。エサは主として底生生物である。」などと言い出す者もいるようだが、これなど逆に「魚をドンドン食べているとなったら、議論となりかなねい。」ということだと見ている。だいたい元々アゴヒゲアザラシは間違いなく貝や蟹や海老は食べているのである。やはり生態系という観点から一度は本格的に議論をすべきなのだ。
 全く影響がないなら、ないでそれで良し。もし影響があるなら、どうするかということは考えるべきなのである。
 タマちゃん報道では他にも考えさせられることはある。例えばあの釣り針事件だ。タマちゃんの右目近辺に釣り針が刺さって外れなくなっていたことについては、「タマちゃん可哀想」、外れているのを見て「タマちゃん良かった」で済ませてしまうことになるが、実は川の底におそらく驚くほどの数の釣り針が放置されている状況が問題なのである。しかしこのことを声高に言い出すと、全国2000万(?)の釣りファンを敵に回すことになりかねない。
 例えばブラックバスなどは釣りファンの快楽のためだけに存在していると言っても過言ではないが、生態系という観点からすれば、これほどおかしなものもない。
 言い出したらキリがないが、世の中おかしなことばかりなのである。


動物園の飼育係だって嫉妬するのだ 2003年5月26日(月)


 深夜1時から4時過ぎまで電気が止まった。予め知らされていた停電だったため混乱はないが、しかしマンションの各部屋への配電は止まり、エレベーターも動かないのである。高層マンションは電気がないと本当に脆い。水道も出ないとくれば、お風呂も駄目、トイレも困る。車庫にしても移動式立体構造となっており、すぐ出られる位置に止まっている車以外は出せないのである。いやひょっとしたらリモコンで動く出入り口のチェーンも動かなかったのかもしれない。となれば、車での外出も出来ないわけだ。
 当初は1時から6時までのはずだったので、予定よりも早く作業は終了したわけだが、それでも3時間以上は停電したのである。ほとんどの住民は寝ていてこれといった不自由はなかったかもしれない。しかし誰もが寝ているという前提でたいして迷惑などかかっていないと高を括っているのだとしたら、大間違い。今の時代、世間一般の人と違った時間帯で仕事をし、生活している者も多いのである。私などはこういうときにひどい目に遭う運命にある。どうしても避けられない停電で、多くの人の意見を採り入れ、こんな時間に作業をすることとなったに違いないが、ひょっとしたらこの時間ゆえ逆にとても迷惑している人がいるのかも知れないとの思いは心のどこかに少しくらいは常に忘れずに持っていて欲しい。

 さて今日は「タマちゃん報道について考える」の続きである。
 昨日は想像力の欠如が顕著ではないかとの視点から意見した。しかしどうも言い足りない気分なので続編へと突入することにする。
 このところのタマちゃん騒動に欠かせないのは「タマちゃんを見守る会」と「タマちゃんのことを想う会」の存在である。捕まえて海に帰そうとするタマちゃんのことを想う会に対し、何をするんだと息巻くタマちゃんを見守る会の対称的な対応がある。
 関係する団体のこともあってか、どうも自治体もマスコミ報道もタマちゃんを見守る会寄りであるようだが、ある日突然タマちゃんが川に浮いていたら、世論はどう動くのか興味はある。「何を縁起でもないことを!」だの「何ていうことを言うのっ!」などと言う気持ちもわからないではないが、世の中縁起でもないことでも想定しておかなくてはならないのである。言いづらい雰囲気がある場合なら尚更そういうことを指摘する人間が必要なのである。
 タマちゃんのことを想う会は「このまま放置衰弱して、もしものことがあったらどうするんですか、今のうちに救出すべきなんです。」と主張している。見守る会側は「そのままにしておいたほうがいい」「捕獲する際のストレスも無視できず、リスクが大きすぎる」との姿勢のようだが、今のままならもし今後何かあったらどう考えても想う会の主張に分があることになる。私に言わせればどっちもどっちなのだが、肝心なことを言っていない分、見守る会は形勢不利なのである。
 なぜ見守るのか、どうなったら、そしてどの時点で救出に向かうのかなど、言い方は悪いが曖昧なまま終始しているのである。
 だいたいタマちゃんがエサに困らないようにホタテを撒く想う会に対し、「自然に任せろ」「エサをやるな」と抗議する見守る会もどうか。東京近郊にアザラシが出没しているのがそもそも自然な状況とは言えはしないだろう。エサをやるなというのもこれまた不自然ではないか。池の鯉や鳩や野良犬、野良猫にエサをやる行為ならそれほど強硬に反対するわけもなく、ホタテを撒く行為に対する声は自らの会の主義主張を押しつけているにすぎないと取られかねないのである。
 と、まぁここらあたりまでは誰もが心の隅で想っていながら言えないでいることなのであるが、もう一歩踏み込んで想像を働かせてみることとしよう。
 つまりアザラシがあんなところに現れてメリットのあったのは誰なのだろうかということだ。メリットがあるなら、アゴヒゲアザラシを捕まえてきて、夜こっそり川に放すくらいのこともするかもしれない。
 真っ先に考えられるのはタマちゃんを「西タマオ」として住民登録をし、地元を大きくアピールした横浜市西区だろうが、ここは最初に現れたところではないので、おそらく商売上手なだけだろう。そこまで手の込んだことはすまい。では多摩川の堤防で見学客にアイスキャンデーを売りまくったおじさんだろうか。いややはりアイスキャンデーなど売れてもたかが知れている。常識的に考えればそのためにタマちゃんを北極圏まで調達に行ったりはしない。やはりシロだ。では連日熱心に中継までして視聴率を稼いだテレビ局はどうだ。このあたりはクサイ。しかしありきたりだ。そこで私が本命に推すのはアゴヒゲアザラシを抱える全国何ヶ所かの水族館である。彼らならわざわざ北極くんだりまで出かけなくとも手持ちのアザラシもいる。東京近郊の河川にアザラシが現れ、話題となれば、「うちにもあのアゴヒゲアザラシがいます」と宣伝するまでもなく、集客力は大幅にアップすることになる。やはりどこかの水族館が怪しいと見るのが妥当ではないか。
 タマちゃんの話題ともなれば何かと嬉しそうな顔でTVに登場する水族館の飼育係を見ているとその思いはなおのこと強くなる。そこまで読むことが出来れば、次に起きる現象も容易に想像がつく。そんな仕組みがあるのではないかと薄々察し、ジェラシーを感じているうっかり者の動物園の飼育係がライオンや虎を郊外に放し・・・・たりしないことを願うばかりである。
 全て冗談である。まともに取り合わないでもらいたい。



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