000000 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

しげぞーの他人には厳しく

指紋だってみんなで残せば怖くないのである

指紋だってみんなで残せば怖くないのである 2003年7月16日(水)

 98年7月に京都市内で起きた看護士刺殺事件の犯人が捕まった。犯人特定の決め手となったのは掌紋と呼ばれている手の平の紋様だ。指紋のようなものと捉えてよい。掌紋は一生変わらない特徴を持っており、最近になって導入された掌紋の照会システムが物を言ったのである。
 この事件ではATMで現金を引き出す犯人の映像が公開され、有力情報の提示者には謝礼金が贈られることにもなっていたが、最終的には物証と科学的な捜査が犯人逮捕に繋がったことには思うところがある。
 それがいいことか悪いことかは別にして、如何に人が他人やその不幸には無関心であり、いざというときにアテにならないかということを現しているかのように感じてしまうのである。
 掌紋は初めて聞いたが、指紋が犯人逮捕や裁判での有力な証拠となったことは珍しくはない。特に前科などがある場合、犯行現場や凶器に残された指紋が直接犯人特定に結びつくのである。

 こんな報道がなされるたび、外国人登録法に定める外国人の指紋押捺制度が基本的人権の侵害だの差別的な扱いだのと物議を醸していたときのことを思い出す。
 基本的に我々の意識の中に外国人は日本人と比べて信用できないとの思いがあるからこそ、こんな決まりが出来たに違いないが、私は指紋押捺制度には肯定的な立場を取っていたし、今も取っている。正直なところ、そんなものは何も疚しいことがなければ拒否することはないと思うからだ。しかしこんなことを言うと、あの人はねぇなどと言われる。
 誤解を招くといけないので、補足しておくが、私は押捺制度には賛成だが、それは外国人だけではなく、日本人も全員押捺する決まりにしておけば、何も差別と言われることもなく、また犯罪の抑制や捜査に有効だと主張していたのである。ちなみにその思いは今も変わらない。

 何かあると二言目には人権がどうのと言い出す輩がいるが、実は人権という言葉ほど厄介なものもないのである。人権とさえ言っておけば、どんな場合でも反論しづらいのである。人権を盾におかしなことを主張された場合でも、真っ向からそれを否定すれば、あの人は人権を軽視しているなどと言われかねない。
 人権が大事なことは誰だってわかる。しかし人権とは何ぞやと聞かれたら、まともに答えることが出来る人間は皆無なのである。それでいながら、人権を必要以上に重要視する。こんなおかしなことはない。人権は大切なものではあるが、それをあまりに声高に主張することで解決が困難となる問題もあることはそろそろ理解してもよい時期ではないだろうか。
 私などは人権だの正義だの常識だのと言った言葉があまりに前面に出されている場合、疑ってかかる必要があると決めつけているくらいなのである




Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.