旅のデジカメ・アルバム<ネパール>↑プラトウーナム市場に、ほど近いゲストハウスがずっと前からバンコクの常宿でした・・・・もう、数年前に取り壊されてしまったけど。そのまわりに、沢山馴染みの家や馴染みの店ができました。国立芸術大学出身の(食えない)画家や彫刻家がたむろするギャラリーや、学生も下宿してる床屋さん、食堂、本屋、飲み屋、写真屋、などなど・・・。タイ人の知り合いの、さらに知り合いたちとディスコに連れてってもらったり。ソンクラン休みに田舎に里帰りするのにつきあってみたり。 この雑貨屋さんも、よくビールやジュースのほか、いろんなものを買いに来ました・・・ばんそうこうや、みずでっぽうなんか。ずっと店番してたおじいちゃんの姿が見えなくなって、2年目。最初見たときにはガキだった息子が、今はこうして座っています(笑) ぞうさんビールで、はるるの手はいつものポーズ!タイ国際航空の座席らしく、客室乗務員もタイの民族衣装を着ています。 右から2番目が、サガルマータ。中国名でチョモランマ、イギリス人が勝手につけた名前が「エベレスト」と言う世界一高いおやまが見えてます。 8年ぶりの、ネパールです。すがすがしい第一歩。 飛行機から歩いてすぐのところに、かわゆい空港ターミナル・ビルがあります。 高度1300メートルの首都カトマンズ。晴れ渡って、風は季節はずれの避暑地のようなさみしい涼しさ。 タクシーやホテルの客引きに、旅行社などの出迎え。 とにかく、かきわけるのが大変! ああ、カメラに納めきれないほど沢山の出迎えのお仕事のみなさんが・・。 こちらが頼んでも居ないひとたち(笑)が、大部分なのです。 ここの、いちばん上のテラスのある角の部屋に、はるるが泊まっていました。 料金はUS6ドルでしたが、ホットシャワーもついてて清潔な宿です。 <11月13日の日記参照してね> 安宿街タメルには、実に様々なちいさな店がひしめき合って、ウインドウショッピングしているだけで、たちまち時間を忘れます。 それぞれの店で、少しずつ違う商品。そして微妙に、時には大幅に異なるお値段。 ここが、例の食い逃げした日本料理のお店のフロント。気のいいネパール人のマネージャーとチーフです。手元にあるのは、はるるが払うはずだった勘定書き(笑) <11月14日の日記を読んでね!> おみやげに、いろんなお店でいっぱい買ったネパールのランタン(ランプ・シェード)がディスプレイされていて、闇の中であやしく輝いています。 カトマンズで世話になった宿の、ネパール人なのに日本語ぺらぺらのスタッフたち。そういえば、ここのデスクの電話で日本の友人とおはなししましたねえ。 安宿街タメルの東端に位置する「ふじゲストハウス」の屋上から。 同じ場所から、明けてゆく空を眺める。星空からいちめんに青く染まるまでの約一時間。カラスやはとさんの群れ。そして王宮の広大な森からいっせいに飛び立つ、白いサギの群れなどに見とれつつ。<11月18日の日記に詳しく出てます> ネパール人のオーナーと、夫婦で長逗留しているフランス人のおじちゃん。ご夫婦とは同じフロアの部屋同志だったので、ワインやチーズなんか分けてもらったりしました。 はるるの部屋のベランダからの写真です。ヨガ・センターという宿泊施設なんかもある集会所で、これから色んな出し物の準備ちゅう。・・・でも、もう着飾った地元の沢山ひとが集まって来ちゃってる! 祭りのにぎわいを見下ろす旧王宮の塔。 この上にのぼって、はるるはしばしぼんやり人波を眺めてた。 ・・・ら、うしさんがはとさんに埋もれているのを見つけた。 うしさんだけの、こっちの写真をランタ島のかおるさんがとても誉めてくれた。 でも、はるるにはどっちも同じように見える(笑) カトマンズ旧王宮は、ティハ-ル祭りで、ものすごい人波でした。 路地裏の神様みつけた。 ゲストハウスのすぐ近くの通り、ティハ-ル祭りのイルミネーションも点燈して、安宿街のタメルは旅行者たちで賑わう。 この女のこ。あちらこちらのちいさな祠の神様にお賽銭をあげる人がいると・・・ すばやく走り回って、くすねていた。ちいさな妹にも手伝わせて、お金かぞえてる。 カトマンズ市街から河を挟んで広がる古都パタンに来ると、少し賑わいものんびりしてて・・・なんとなくホッとします。遥か向こうには、雪を頂いたヒマラヤが。 ここでは、かえって車のほうが異端者に見えます。 森の水車小屋でやってる粉ひき作業を、ひとのちからでのんびりやってます。 のんびり村のやぎさんは、ひとと同じに「ぼおー」っと、してます(笑) カトマンズからポカラのあいだは約200km。所要時間も、8時間くらいはざらだったけれど・・・今は順調に行けば、道路事情も改善されたので約6時間くらいに短縮された。 前は落盤事故や地すべりも多かった。 もちろん、そのための交通規制も多かったので今回もそうかと思ったら、バス同志の正面衝突事故だった。 車体をみんなで人力で道路ぎわに寄せて、交互通行になったのはそれから1時間後。<11月15日の旅日記を読んでね> ポカラのレイクサイドで、やってたコブラの踊り。 へびつかいの男と助手と、使い走りの少年の3人組でした。 見物人のまわりを素早く抜け目なく、少年がお金を集めて廻ってた。 カメラのひとは、割増だとか言い張ってた(笑) ポカラ滞在中、数回すれ違った時は、インドの衣装のサリー姿だった。 バスターミナルで、荷物の見張り番を頼まれたときの写真。 このあと、カトマンズに行く途中でいっしょに食事をしたんだけれど、いきなりはるるの口元についた食べカスを、手でつまんで取ってくれた。 ちょっと好みのタイプのおとなしそうなひとだったので、ドキドキしてしまった。 「アフガンの戦争のおかげで中国政府が外国人旅行者を全員、チベット自治区から国外退去にしたので予定より早くネパールに来ちゃった」と、語ってました。 交通手段が無くて、まして日本人の女の子の一人旅で、輸送トラックのヒッチハイクなどそうとう苦労して出てきたそうですが、そんな様子に見えないくらい明るくて元気そうでした。<11月17日の日記を読んで下さい> ぼくらの乗ったカトマンズ行きのバスのフロントにポカラの夜明けの空。 ジャンル別一覧
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