京大西部講堂は、京都大学吉田キャンパス西部構内にある厚生施設の一つですが。
・・それに止まらないで関西のロック音楽シーンにとって、伝説の場所でもあるんです。
昨日の「 愛人の美容とホテル 」日記につづいて、百万遍かいわいの写真です。
はるるさんにとって永い間、京大西部講堂は「金閣寺」とか「清水寺」にも匹敵するような京都名物のひとつ、だったので通りがかりにチャリンコでこれを見つけたときには、独特の感慨のようなものがありましたよ。
西部講堂でロックの公演が実施されることになったのは1970年12月31日に開催されたFuck'70というライブが最初。
これ以降、大晦日には"Mojo West"というロックコンサートが定期的に開催されて、矢沢永吉をはじめ、ジョニー大倉、豊田勇造、村八分といった現在のロックファンの間では著名なミュージシャンが西部講堂のステージに立ちました。
元々は円山音楽堂で開かれていたのが、あまりにも騒音?がひどいというのでこっちに引っ越したようです。
他にも内田裕也とかジョー山中とか言った、そうそうたる面々が顔を揃えていました。
(かつて、あのThe Policeもここのステージを踏んだことがあります・・)
おおみそかのコンサートに参加したひとによれば、あるミュージシャンの「明日からお正月だというのに、こんな所にしかこれなかった人たちに一握りのブルースを」という言葉が印象的だったとか。笑
そこからメジャーレコード会社の目に止まり、デビューしていくこととなったミュージシャンが多数生まれて・・。
ロックミュージシャンの中では「西部講堂の大晦日コンサートに出演すると売れる」というジンクスが伝聞されていた時代がありました。
これは西部講堂が1970年代の日本のロック黎明期に、大きな役割を果たしてきたことから出てきた一種の伝説でしょうけど。
(京大西部講堂 ★2007年3月 撮影)
ちょっと見には、打ち捨てられ荒れ果てて廃墟になった寺院のように思えるようなたたずまいなんですが、サークル活動の部室になってたり、様々な不定期のイベント会場に使われたりしてる、現役の建物なんです。
1937年に現在の天皇の生誕を祝して京都大学構内に建築されて、1963年に今の場所に移築しています。
この屋根に描かれているオリオンの三ツ星は、1972年の日本赤軍によるテルアビブ空港乱射事件で死亡した日本赤軍メンバーを偲んで同年に描かれたものらしい。
当時は、毛沢東の語録がまとめられた赤い手帳が、日本でもベストセラーになるような時代。
けれど、事件から30年以上経過した現在、追悼の意味合いは風化していて、単なるオブジェと化しているけれど。
屋根の三ツ星も、描かれた当時は赤色だったけど、紆余曲折を経て、近年は黄色に落ち着いているようです。。。。
京都大学は、日本で2番目に創設された帝国大学の流れをくんでいる国立大学です。
この大学では伝統的に「自由な学風」を謳っていて、現在でも学生自治活動が活発に行われています。
また、西部講堂のロックコンサートなどに代表される京都地区における文化発信地としての役割も担ってきていました。
東に「保守」の東大があるとすれば、西に常にあたらしい「革新」の京大があると言われるゆえん、ですね。
当然ながら、60年から70年代の激しい反体制派の学生運動の拠点にもなった過去があります。。。
かわら屋根の上の、黄色いみっつの星は・・・そんな歴史の引っかき傷がいつの間にか「かさぶた」になって治癒したあとのような、名残りだけの存在なのでしょうか。
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