私の気づきへの道2(ライフワーク編)「会社を辞める」と決めたものの、辞めてからどうするのか。 それを考えなければなりません。 今まで上司と仕事、会社のことでいっぱいだった頭に、「自分がやりたいことは何だろう?」「何が面白いだろう?」そういった新しい思考が生まれ、それが幅を利かせてくると、精神的にとても楽になってきました。 眉間の筋が一本消えました。 でも、私は何をしたいのだろう? 会社にいれば、言われたことをこなしていればよいのです。それで多大な時間を拘束されますが、お給料をもらえます。 それは、ある意味、何も考えなくていい楽な状態です。 会社という枠を取り払った自分は何をやりたいのか。 そのとき浮かんだのが、母や姉の肩を揉んだとき、「うまいよー、才能あるんじゃないー?」と喜んでもらえたことでした。 たったこれだけのことが、その後の私の運命の方向性を決めたのです(笑)。 私は思いました。「これからは高齢化社会だし、気持ちがいいことならすたれないだろう。健康産業っていいかもしれない」 本屋の資格取得コーナーで、マッサージ関連の学校を探しました。そのとき目に付いたのが「アロマセラピストになろう」という本でした。 当時(97年)、アロマセラピー(アロマテラピー)は少しずつ浸透してきた癒しのテクでした。本を買って読むと、人に喜ばれる、香りで心地よい、マッサージもできる。。 なにやら、良さそうな響きです。 そこで紹介されていた、一番深く勉強できそうな学校に資料を請求すると、丁度あと2週間で募集を締切るというタイミング。また、資料を読むと、解剖生理学、栄養学、心理学、マッサージなども学べる上、アロマセラピーは健康増進、不調の回復の助けに非常な効果を発揮するものだというのが分かりました。 「これだ!」 スクーリングは1週間通しで年6回。公休を使えばできないことはないのですが、年に6回も1週間の休みを取らせてくれるはずがない。 私は会社を辞める決心をしました。 そのとき、出会いがありました。 学校のオリエンテーションのとき隣に座った人が言ったのです。 「もし公休を使えるなら、会社続けたほうが絶対にいいよ」 それを聞いて、頑張ってみようかと思いました。 副部長はマイナスの恩人でしたが、部長はプラスの恩人だったのです。 部長に熱意を込めて、無理を承知で頼みました。 そして部長は判を押してくれたのです。 おかげで、私は学校に行きながら働くことができ、200万近くかかった学校関連のお金を得る事ができたのです。 その1年は充実した1年でした。 相変わらず副部長は気難しかったのですが、私にはやることがありました。学校から膨大な宿題があったのです。解剖生理学のワーク、精油の辞典の作成、モニター7人に8週連続マッサージを施術してレポートにするというのもありました。 モニターに家まで来てもらうわけにもいかないので、会社の友達2人は、会社の会議室を密かに借りて、テーブルの上に座布団を並べてタオルを敷いた上に寝かせ、オイルマッサージをしました。 もちろん、友達はパンツ一丁です(上にはバスタオルを掛けていますが)。「もしここに人が来たら懲戒免職かもね~」と、今思ってもかなりキケンなことをやっていました(笑)。 副部長のことで頭がいっぱいだった前年に比べると大分気が紛れていました。 自分が知識と技術を身につけているという充実感がありました。 年が明けました。 1999年です。 今となっては誰からも笑われるのですが、私は「ノストラダムスの大予言」というのを信じておりました(笑)。 ノストラダムスの大予言で言われていたのは、「1999年の8月、恐怖の大王が降ってきて地球は滅亡する」ということです。 私は思いました。「どうせ死ぬなら、心の底からやりたいわけでもない会社の仕事にしがみついているより、本当にやりたいことをやろう」 体に触れる仕事ならば、体のツボについても知っていたい、と思っていたところ、たまたま見つけた中国整体の治療院で学校もやっているではありませんか。 その学校は、昼間の授業です。会社は辞めなくてはなりません。 けれど、そうするとお給料もなくなるし、一流企業にお勤め、という肩書きもなくなります。 それに比べて私がやろうとしていることは、どうなるかも分からない未知のもの。 親も、会社を辞めるのはいいとしても、「マッサージ師」というのには、ちょっと懸念を示していました。 不安でした。 けれど、人事考査の部長面接のとき、「辞めます」と、1年伸ばしにしていた言葉を部長に告げました。 もう後戻りはできません。 その頃私は、「ラルクアンシエル」というバンドが大好きになっていました。ボーカルの声と歌が、私の胸にとても響いたのです。 仕事中も、頭の中でいつも曲を鳴らしていました。そうすることで、仕事中、なんとか副部長のプレッシャーを紛らわせていたのです。 「辞めます」と言った日、ラルクのアルバムを買いました。私は、曲を聴くときはながら聴きはできない質で、部屋の電気を消して、ヘッドフォンで爆音で集中して聴くのです。夜、ふとんに入って、曲を聴きました。皆、初めて聴く曲です。その中で、明るい曲調の歌が始まりました ♪泣かないで こんな夜なのに 私は会社がとても好きでした。副部長の下に入るまで、仕事も充実していたのです。広報部で、社内報の取材で色々な人と出会い、役員さんや支社長さんにも可愛がってもらいました。他の部の人にも顔を覚えられ、楽しく仕事をしていました。会社でたくさんのことを教えてもらいました。社会人としてのあり方、マナー、人との接し方。美味しいものをご馳走してもらったり、部内旅行や組合のイベントで出かけたりという触れ合いも楽しかったのです。 それなのに、どうして、大好きな会社を辞めなくてはならなくなったんだろう。 でも、もう走り出してしまったのです。 曲調が転じました ♪信じてる気持ちさえなくさないように ♪もう一度その瞳ゆらせてくれたら。。ほら。。 「信じてる気持ちさえなくさないように」 この言葉が、不思議なほど心に差し込みました。 そして私は、何の根拠もないけれども、潰されそうなほどの心もとなさの中で、一つのことが分かったのです。 「信じてる気持ちさえなくさなければ、大丈夫」と。 先が全く見えない世界へ行く私にとって、この言葉は啓示でした。 なぜ、一番心が弱っている日にこの曲を聴くことができたのか。 「自分を信じていれば大丈夫」それを知ることができたのか、今になればそれが「導き」だと分かります。 あの夜、私は声を上げて泣きながら、この曲を繰り返し繰り返し聴き、「全く先は見えないけれど、自分を信じる」という、不安と希望を噛み締めたのでした。 「ライフワーク」 これを探している人は多いと思います。大勢の人が、自分は何に向いているのか、何をなすべきなのか分からずにいて、それを見つける本を読んだりしています。 私にとって、今の仕事は天職です。 この手で、目の前の方を癒すことによって、喜んでいただき、お金までいただけて幸せな気持ちになれる。夢のような仕事だと思います。 自分の健康や気づきに関する知識をお教えして、役立てていただくことも嬉しいことです。 けれど、これが天職だと気づいたのは、自分の店を始めてからなのです。 私は、学校に入るまで一度もオイルマッサージを受けたこともなければ、整体だって、入る前に一度くらいはどんなことをやるのか受けてみなくちゃと思って受けたくらいで、よくある「好きが嵩じて」というのでは全くないのです。 どちらかというと、「これから健康産業はイケるかも」というビジネスライクなところから入ったのです。 でも、それがなぜか、「喜んでいただくと私もこんなにも嬉しい」「もっともっと喜んでいただくようにしよう」 こういう気持ちを持つようになり、それを発揮できる場を自分で持ったときに、やっと心底幸せを感じることができるようになったのです。 よく「ライフワークを見つけるには自分のワクワクの源泉を知る」と言います。確かにワクワクの源を知ることも有効でしょうけれど、ムリヤリ見つけないでも、色々な偶然の重なりから続けてきた今の仕事が、実は天職だったことに気づいた。。という人もいるのではないかなとも考えるのです。 会社を辞めた私は、、、ハジけました(笑) そのお話はまた後ほど。。 ジャンル別一覧
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