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「人は、生まれてくる前に自分は今生で何を学び、どういう死に方をするか決めている」
「だから、死ぬときは自分がその学びを終えたときである。そして死後の肉体のない世界は、肉体に縛られているときと比べ物にならないほど幸せな世界である」 「だから、死を哀しむことはない」 私はそう思っています。 だから、もし自分の愛する親が死んだら「たくさん学んでよかったね。天国で幸せにね、時の輪の果てでまた会えるね」と思える自信があるし、 いつか子供ができて、もし幼くして死んだとしても「私にいろいろなことを学ばせてくれて本当にありがとう」と感謝できるつもりでいます。 今日、叔父のお葬式に参列してきました。 叔父は気難しいところがあり、子供の頃怒られたこともあり、「おっかない叔父さん」という苦手なイメージがありました。 その叔父は68歳で腺ガンを発症しました。 ガンになってから叔父はパソコンを習い始めました。 努力家の叔父はパソコンを熱心に学び、メールもできるようになりました。私にもメールをくれるようになりました。 ある日の叔父のメールです。 今年も色々と励ましてもらい 有難う あやさんには メル友になってもらい 感謝。・・・(*^。^*) 来年も是非いい年にしたいですね 叔父のメールは、必ず壁紙とBGMが添付されていました。そして顔文字まで。。 聞けば、私のためにいろいろ壁紙やBGMを探して、季節にあったもの、イメージにあったものを選んでくれていたそうです。 叔父さんとメールするのはとても楽しかったのです。 ここ数ヶ月で体調が思わしくなくなり、メールもできなくなりましたが、母が頻繁に電話をかけていて、スピーカーを通して叔父の話している声はいつも聞いていました。 「まだ頑張ってるよー、まだ生きとるよー」 そう言っていたのが最後に聞いた叔父の声でした。 叔父は頑固な人でした。 でも、最後は「ありがとうなぁ、あやちゃん、いつもありがとうなぁ」と言っていました。 「ありがとう」を学んで叔父は天国に還っていったのだと思います。 人は、生まれてくる前に自分は今生で何を学び、どういう死に方をするか決めている。 私はそう思っています。だから、哀しむことはないのです。 でも、式の間、叔父とのメールでのやりとり、声、それを思い出すと、泣けて泣けて、みっともないくらいに涙がこぼれました。 この涙は、もう二度と会うことができない哀しみではなかったと思います。 叔父が心をこめてメールを書いてくれたこと、その優しい気持ちが改めて嬉しくて、ありがたくて、あんなにも泣けたのだと思います。 「優しい気持ちというのは、なんと尊いものなのだろう」 「いつも、いつも、優しい気持ちで接せられる人になろう」 叔父の死は、私にそれを気づかせてくれました。 叔父は、私がとても出たがっていたセミナーの間や、お客様の多い日でなく、ちょうどお客様の予約をとっていない日がお葬式になるように亡くなってくれました。 本当に姪思いの優しい叔父でした。 叔父はメールを本当に楽しみにして喜んでくれ、プリントアウトしては親戚に見せていたそうです。 子供に恵まれなかった叔父に、わずかでも孝行ができたなら、本当に嬉しく思います。 ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年05月07日 01時37分04秒
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