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人に優しくしてもらうと、人に優しくしようと思う。
それを心底思わせてくれたのは「ラル友(ラルク友達)」の存在でした。 1999年、ラルクファンになった私はラルクの情報を求めいろいろなファンサイトを調べていました。 その中で雰囲気が良さそうな掲示板に出入りするようになって、ラルク仲間がたくさんできたのです。 下は10以上年下の中学生から、上は10近く年上の社会人まで、掲示板やチャット、ICQ(文字電話)で交流を深め、オフ会もやっていました。 「ラルクが好き」という繋がりの仲間は、どれだけ歳が離れていようと、学生だろうとどんな仕事をしていようと対等で、タメ語で話します。 年下の友達がたくさんできたおかげで、ずいぶん若返りました(笑) デビュー当初の貴重な映像や音源を、テープ代だけでどれだけダビングしてもらったことでしょう。 彼らがそれを入手するまでにどれだけのお金や苦労があったか分かりませんが、 「ラルクが好き」。それだけで、快く分けてくれたのです。 ラル友2人と、ボーカルのhydeのご両親が当時やっていたカラオケスナックを訪れようと、和歌山まで行ったこともあります。 現地では、その店の常連であるラル友が車を回してくれて、縁の土地を巡ってくれたり、パパやママと親しく話せるようにしてくれました。 私の誕生日会も開いてもらいました。 高校生のラル友が家を提供してくれて、大学生の男の子3人、大学生と高校生の女の子3名で、昼過ぎから夜の10時過ぎまでわいわい祝ってもらいました(長すぎ。。^^;) ラル友の一人が神戸に住んでいたので、ルミナリエを見に行こう!と、会ったことのない島根のOLのラル友と計画したこともあります。せっかくだから和歌山まで足を伸ばそうとしていたら、それを知った大阪の大学生が乗り換えのほんの30分の時間だけでも会いにきてくれたり、京都の大学生が和歌山で合流してくれたりもしました。 神戸では土曜日だったせいもありホテルが全然取れなくて困っていたら、神戸のラル友(大学生♂)が2人を泊めてくれたりもしました。 同じものを好きな仲間、というだけで、どれだけ私は親切にしてもらったことでしょう。 本当に嬉しく、ありがたいことです。 こんなにもたくさんの優しい気持ちをもらったのだから、新しいラルク友達には同じようにできるだけのことをしようと思わずにはいられません。 優しい気持ちを自分が受けたご恩を、別の人に返して行く。。 ペイ・フォワードみたいなものなのでしょうね。 人に喜ぶことをしてあげて、その人がそれを嬉しく思って、誰か他の人にも同じように喜ぶことをしていく。。 波紋のように広がっていけば、なんて素敵なのでしょう~ まずは自分が実践!ですね^^ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年05月08日 00時30分39秒
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