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私には喫煙習慣がありません。
両親は吸ってますので、子供の頃から身近に煙草はありました。でも、別に吸いたいと思わなかったのですね。煙のニオイが苦手だったのです。 会社に入ると、部署の半分の人は煙草を吸っていました。そのころはまだ分煙なんてオシャレな制度は普及していなかったので、当然、部屋の中は煙草のニオイが染みついていました。 部内は「煙草当然派」と「煙草苦手派」に分かれていて、私は後者だったのですが 「そんなにいいものなら、試してみなきゃ」 と、煙草を吸ってみました。 が、鼻からとり入れても苦手なニオイが、口からとり入れて、いつまでも残っているのはもっと苦手で、それきり煙草を口にしていません。 でも、煙草には習慣性があるので、美味しいから吸っている場合もありますが、無意識にくせで吸うこともあり、手放せないようです。多くの喫煙者がそうなのだと思います。 先日、セミナーの禁煙セッションでご一緒した人と会いました。 その人は煙草を今までどうしてもやめられなかった人です。私は禁煙希望者を励ます役割でセッションに参加していました。 その人は、セッション以来、もう煙草を欲しくなくなったと言いました。セッションの内容はネタバレになるのでご紹介しませんが、心身ともにとても苦しいものです。でも、 「あのとき、煙草を吸いつづけると、こんなにも体が悪くなるということを体感したけれど、自分がやめられたのはそれが理由じゃない」 「前に禁煙をしたときは、いつも煙草が吸いたかった。自分が、煙草を吸うのが好きだったから。でも今回のセッション以降、煙草を手にすると、応援してくれた人の顔が浮かぶんですよ」 「前やめられなかったのは、自分で自分を許してしまったから。けれど、今は、応援してくれた人を裏切りたくないから、煙草を吸いたくない。そして吸わなくても大丈夫になったし、煙草のニオイが嫌いにすらなっている。体の調子もいい。本当に嬉しい。。」 禁煙セッションで、最後に煙草を吸うとき、多くの人がそれを断ちがたく、涙を流していました。 それを見て、私は、習慣性のあるもの、自分が好きなものを絶つのは、これほどまでに辛く苦しいものなのかを思い知らされました。 その、それほど影響力のあるものを絶つのに一番の効果があったのが、その人は「他者の力」だというのです。 「人は一人で生まれて、一人で死ぬ。どうせ結局一人なんだ」 と言う人がいます。それはそうなのでしょう。 でも、人は、一人では生きていけません。 一人で生きていけるなら、他者がいる環境で生まれてくるわけがないのです。 人を頼るのが嫌いな人もいます。迷惑をかけると遠慮する人もいます。弱さを見せるのを頑なに拒む人もいます。 でも、人は、他者を助け、助けられるために生まれてきたのだと思います。でなければ、生まれてきた意味がない。 人をもっと頼ってもいいのだ。そして自分も頼られたら最大の誠意でそれに応えればいいのだと思わされた一日でした。 私ももっと、かわいく生きよう~(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年05月18日 07時44分57秒
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