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「悪口」というのは、とても共感を呼ぶ会話のネタであります。
職場で気の合わない上司がいて、同僚どうしでその人の悪口を言い合えば、「分かる分かる!」と同じ気持ちを共有したり、「いじめられてるよね、可哀想に。。」と同情してもらうことによって、同僚との親しさや団結力が固くなったりします。 サラリーマンの飲み屋での話は愚痴や悪口がほとんどで、それでスッキリリフレッシュ、同類意識を強めるという効用があるようです。 私もそういった意味で悪口はよく言っていたのですが 「悪口で自分のエネルギーを吸い取られる」 という思いをしてから、注意するようになりました。 大学のサークル友達だった友達がいました。彼女とは、卒業後しばらくぶりに会ったのですが、夏に一緒に旅行に行こうということになり、初めて二人で長い時間話したのです。 そして、私は驚きました。 皆と一緒にいる時は気づかなかったのですが、一対一での彼女の話は、ほとんどが不平不満・愚痴・悪口だったのです。 大学で心理学を学んだ彼女は、卒業後また勉強を重ねて都の療法施設で働いていたのですが、彼女の口から出る言葉は 「自分はこんなにやっているのに、認めてもらえない」 「上司の○○さんは、こんなにもこんなにもこんなにも悪い人で、そのおかげで私はこんなにもこんなにもこんなにも苦労している」 という内容でした。 「全ては人のせいで自分は悪くない」のです。 それを聞きながら、私は、 「被害者」である彼女に同情して、「加害者の」の上司を一緒に批判するよりも、 悪口を言う「被害者」の友達に対して嫌悪感を感じました。 「悪口を言う人は被害者かもしれないけれど、悪口をいう人自身のほうが嫌いになる。。」 これはその時から感じるようになった感情です。 しかも、私が「それだったら、こうしてみれば?」とアドバイスをしたことは 「やってもダメ」 とぜんぜん聞き入れてもらえず、またそれも悲しく空しくて、私からどんどん力がぬけていくのを感じました。 一刻も早く側から離れたくてしょうがありませんでした。 それはあたかも「毒を飲まされた」ようなもので、それを「解毒」し、中和するためには、しばらく会わないほうがいいと思ったくらいで、実際そうすることによって、毒は一応は抜けていきました。 「悪口は毒と同じだ」 それもこの時痛感しました。 あの時と違って、今の私はもう、毒にそれほどおかされることはないと思います。 これもコーチングのテクニックなのですが、 「共感」するが、「同情」しない というのがあります。 「共感」とは、「あなたがそう思っているのを私はうけとめました」ということです。 「同情」とは、「あなたの気持ちに私はなりました」ということです。 師匠はよく 「人を助けるには、同じ井戸の中に落ちてしまったら助けられない。外からロープを下ろさないと」 と言っていました。つまり、同情してその人の気持ちに引きずられて一緒にドツボにはまると、自分は疲れるし、相手も助けられないのです。 マイナスのエネルギーの人と話をして、エネルギーを吸い取られるのはこのタイプです。 「共感」の場合は、相手が怒っていたり不満に思っていたりすることを、「ああ、そう思っているのですね」と受けとめるだけです。だから、一緒に怒ったり不満に思わないのです。 このテクニックを知って以来、私はお客さまからどんなにネガティブで大変な話をうかがっても、それが心配で頭から離れなかったり、眠れなくなることなど一度もありません。 それは彼女の悩みであり、私の悩みではないです。 今の私だったら、あの時の彼女をもっと受けとめられたかな、話をさえぎらずに聞き、自分が勝手に正しいと思っていることを押しつけたりせずにいられたかな。。と思います。 ただ彼女はあれから半年後、天に召されたのでもうそれはかなわないのですが。 いろいろな気づきをくれた彼女に感謝し、ご冥福をお祈りいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年05月31日 06時27分40秒
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