カテゴリ:心について
「すかいらーく」の経営する「ガスト」が
食中毒を出したため、東北各県の店舗が自粛している、 というニュースを見ました。 仙台の集中調理施設で調理された浅漬けが 原因だったようです。 その後ツイッターで、 この工場は、被災した岩手・宮城沿岸部の避難所に、 何万食もの「温かい食事」を社会貢献として毎日提供し続けていた、 ということを知りました。 食中毒を出した責任は重いですが、 素晴らしいことをされていたんだなと思い、 さらに何か分かればと、ツイッターで 「#すかいらーく」を検索してみると。 「社会貢献もしているが、忙しいために過労死もある職場」 というつぶやきがありました。 ええ~そうなんだと思っていると、 「被災したときに、温かい食事でお世話になりました」 という感謝のつぶやきもありました。 「食中毒」という悪いことが、 「社会貢献」といういいことでひっくり返され、 さらに「過労死」という悪いことでひっくり返され、 「実際に恩恵を被った方のお礼」でひっくり返され・・・。 「事実は一つだけれど、真実は人の数だけある」 という言葉を聞いたことがありますが、 「できごと」をどうとらえるか、 どの側面で見るか、ということで、 意味づけは、いい方にも悪い方にも転ぶんですね。 新たなことが分かってもコロッと変わります。 だから、「良い悪い」を判断するというのは とても難しい。 とくに政治的なことなどは、 長い目で見ると、評価が逆になることもままあります。 人の評価も同じで、 「時代の寵児」が「落ちた偶像」に なってしまうこともありますし、 「いい人」と思っていたらアレっ?ということもあるし、 逆に「イヤな人」が捨て犬を拾って微笑んだりするのを見て 恋に落ちてしまうというのは、一昔(大昔?)前の ラブコメの定番です(笑)。 「これはイイ!」と思って人に言っていたのに 実はよろしくなかった、ということが後で分かったりすると、 なんだか照れくさいですよねf^^;。 そんなわけで私は、評価するのは、「丸ごと」でなく、 「この部分」にするようになってきました。 「この人のここが好き」 「この出来事は、この部分は評価できると思う」 としておくと、 「そのときは、その部分はそう思っていたんだ」 と自分にも人にも言い訳がつくのです(笑)。 「白黒ハッキリつけろ!」と迫られる場合もあります。 けれど、評価を「良い」か「悪い」かの二つで分けようとしないで、 「良い部分もあり」「悪い部分もある」と思っておくほうが、 ストレスに感じたり、相手を責めることがない 思い方なのかな、と考えています。 ★9月10日に「虹と天使のお祭り」で、「スピリアルなプリンセスになる!」講演! 詳細・申込 ★10月15日に「自分を大好きになって願いを叶える1dayセミナー」を開催! 詳細・申込 「部分で見よう」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓ ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年09月02日 09時06分35秒
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