あややの独り言~のほほん日記~

2006/07/30(日)01:59

◆◆◆復活◆そして、全て話します◆◆◆

独り言(80)

みなさんお元気ですか?? お久しぶりです。あややです(^-^) 長い間お休みをしていましたが、 またちょこっとづつ 日記を復活していこうと思います。 今後とも どーぞよろしくお願いします。    m(_ _)m   。 ・ ゜ ・ 。 ・ ゜ ・ ☆。 ・ ゜ ・ 。 ・ ゜ ・ ☆ 今日は、 この数ヶ月間の 我が家の出来事を、 全て、お話しようと思います。 。 ・ ゜ ・ 。 ・ ゜ ・ ☆。 ・ ゜ ・ 。 ・ ゜ ・ ☆ 私の夫 旦那Tの母(以下:義母)は、 昨年5月、『胃の調子が悪い』と病院に行った際、 胃癌に犯されていることがわかりました。 しかも、スキルス性といい、非常に進行性の高い、癌の種類でした。 すぐに手術をし、胃を全部摘出。 退院した後は、自宅で療養していました。 今年1月には、だいぶ回復傾向にあったので、 家族みんなで、日光へ旅行にもいきました。 誰もが、回復に向かっていると信じていた今年の、春先、 義母の体調は、急変。 嘔吐が続き、徐々に戻りつつあった、食欲も激減し、 入退院を繰り返すように・・・・ それは、 5月末のとっても温かい日の夕方でした。。。。 義母は、「癌の転移があった」と  本人自ら、 私達に、病状を話してくれました。 『今後、 抗がん剤を使用して、癌の進行を抑制する方法をとると、 副作用から、自宅に帰ることが出来なくなってしまう事もあるみたいだから、 私は、抗がん剤は、使わない事にしたわ。 残りの余生を穏やかに過ごしたいの。 抗がん剤を使って、癌が全部消滅するなら、 副作用も我慢するけどね。 私の場合は、癌が消える事は無いみたいだし…』 私は、 『義母の前では涙を流してはいけない、』と思いながらも 溢れ出す涙を止めることができませんでした。 義母は、 『泣かないで・・・ 笑ってると癌細胞は減るらしいから、 あややちゃん、泣いちゃダメだよ! 私は笑って過ごすからね!! 体調がいいうちに、みんなで旅行も行きたいね。 私、ディズニーシーの中にある、ホテルに泊まってみたいから 早めに予約してくれる?』 私は義母の希望を叶えるため、 すぐにミラコスタを予約。 体調が悪く、パークに降りれなくても、 お部屋からショーが見れ、 さらに、バルコニーが付いている部屋を 6月末の1泊2日、なんとか確保することができました。 6月末、義母の体調がいい事を願って・・・ 6月に入り、 義母の病状は 良い状態と、悪い状態の繰り返し。 点滴をしなくては栄養補給が出来ないので、 月~金までは、病院。 土日は、自宅。 という生活を過ごしていました。 そんな、義母の状態も不安定な頃の、6月6日 早朝6時。 私の携帯が鳴りました。 私は、『義母に何かあったか?』 と思いながら、電話にでると、 何故か、あややママからの電話でした。 『あやや。落ち着いて、聞いてね。 実は、きのうの夜、 お父さん(実父)が 駅のホームから線路に転落して、 頭を打って救急車で運ばれたの。』 頭蓋骨骨折 + 外傷性くも膜下出血 + 脳幹出血で、 意識不明の状態。 命の危険もある 最悪な状態でした。 父は、会社の後輩と一緒に飲んだ帰り、 泥酔状態で、駅のホームから線路に転落。 酔っ払っていたので、受身をとることが出来ず、 頭から転落し、頭部を強打したそうです。 しかし、 駅員さんがすぐに気付き、 ホームに電車が入ってこないように危険信号を出してくれたのが、 不幸中の幸い。 もし、転落の発見が遅かったらと、思うと、今でもゾッとします。 悪い事は 重なるものですね。。。 私達 夫婦は、 6月末には、アパートの引越しもせまっていたので、 2ヶ所の病院通い、 引越しの為の家の片付け、などに追われる毎日でした。 そして、6月末。 楽しみにしていたミラコスタでしたが、 2時間の移動距離が不安。という事もあり、 結局は、キャンセルすることになりました。 もっと早く、元気な時に連れて行ってあげればヨカッタ。。。 その頃 待望の、新居が、アパートの退去期限ギリギリで完成。 私達も無事、旦那Tの実家へ、引越しする事ができました。 しかし、 義母の容態は徐々に悪化。 体全体の痛みから、 夜も一睡もできない状態が続き、 ついに、本人の希望から、モルヒネの投与を開始しました。 義母は モルヒネの投与により、痛みからは解放され、 7月 5日~6日の1泊2日限定で、 外泊許可がおり、 新しい家に宿泊。 義母の姉妹も、家に泊まり、 みんなで、義母のベットを囲み、 ワイワイと楽しい時間を過ごす事ができました。 1泊2日の外泊をおえた母は、病院へもどり、 モルヒネの投与量も徐々に増えていきました。 今まで、病院での義母への付き添いは、 妹と義父に任せっきりだったので、 7月8日(土)の夜~日曜日、 旦那Tも母の病院に付き添いで宿泊。 本来、義母の側にいて安心させてあげる為に、付き添う役の旦那T。 しかし、仕事の疲れから、付き添いの旦那Tの方が、爆睡。 『あんたのイビキで寝れないから、車で寝てくれない?』 なんて、言われてしまう始末(笑) でも、母と親子2人っきりの時間を共有することが出来てよかったと思います。 しかし、翌日 容態が急変。 旦那Tが泊まった、次の日の夕方、 妹、義父の見守る中、義母は静かに息をひきとりました。享年53歳でした。 (その日は、偶然にも、私の父の退院の日でもありました。) 。 ・ ゜ ・ 。 ・ ゜ ・ ☆。 ・ ゜ ・ 。 ・ ゜ ・ ☆ 最後の最後まで、周りの人の事を考えて、心配をしていた義母。 私たちには、『喪服の準備をしておきなさいよ。ちゃんとクリーニングに出しておいて』 父には、『Yシャツも、新しいものを買うのよ。』 妹(娘)とは、車椅子に乗りながら、デパートに一緒に行って、喪服を選んだそう。。。。 妹から、後から聞いた話。 自分の治療費は、高額医療の申請ができるから。と、 治療費の領収書をきちんと月別に分けて、申請の手続き方法を教えていたそうです。 自分の死が目の前に迫り、 錯乱しているであろう精神状態の中で、 家族のこと、今後の事を、 順序立てて、整理していく母の強さには、 本当に驚かされたのと同時に、 尊敬できる自慢の義母だと痛感しました。 亡くなる前日、 『明日から話が出来なくなってしまう気がするの。。。。 私は、大好きな人に囲まれ、とっても幸せよ。 ありがとう。ありがとう。』 と言っていました。 私にも、 『一緒に台所に立てなくて残念。。。。これから、家族をよろしくね』と メッセージをかいてくれていました。 家の完成も見届け、そして、伝えたい事は全て家族に伝え、 なんだか、安心して旅立っていったように思えました。 今回の事で、 人は、色々な人に支えられて生きている事。 母の強さ。 やさしさ。 などなど、言葉では語りつくせない多くの事を教えてもらった気がします。 義母の最期の言葉は、 『私が居なくなっても、みんなで前に前進していってね。』だったそうです。 その義母の言葉に応えるべく、 前向きに前進していかなくっちゃね!と、 家族みんな、明るく 天国へ送りだしてあげる事ができた気がします。 葬儀の際の お花も、 『私は、菊の花よりも、洋花がいいわ』などと話していたので、 意向を叶えるべく、 祭壇は、義母が好きだった洋花で飾り、 まるで、義母の遺影が、お花畑の中にいるようでした。        葬儀、告別式に参列してくれた旦那T&あややの友達たち。どうもありがとうね 葬儀も終わり、 生活も落ち着いてくるのと同時に、 家族には、ポカンと穴があいたような、寂しさがわいてきますが、 みんなで力を合わせて、義母の言葉を胸に、 前向きに前進していかなくては。と思っています。 義母の事を、ブログに書くことは、正直迷いましたが、 義母の生きた証、私達に教えてくれた事を 何かの形に残しておきたくて、 日記に書く事を決めました。 久々の日記が、 このような内容で 読んでくれた皆さんが暗い気持ちになってしまったらゴメンナサイ。 次回の日記からは、 いつものように、のほほんと、今までどおり、綴っていこうと思います。 今後とも、どーぞ宜しくお願いします☆  長文、最後までよんでくれてどうもありがとう(^-^)

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