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カテゴリ:ひとり言
「もしも世界が100人の村だったら 2 」フジテレビで今夜
放送されました。 他局のサッカー放送に埋もれてしまった形でしたが、しっかりと 観させて頂きました。今夜は昨年に引き続き第2回目の放送だったんだけど、今回もいっぱいいっぱい色々な事を考えさせられました。アルゼンチンのスラムに住む少女、彼女はわずか13歳で母となった・・・両親に捨てられ子供の父親もいない・・・たった一人で赤ちゃんを出産する道を選んだ彼女。帝王切開でも二日で退院しなければいけなくって、痛むお腹とベイビーを抱え、彼女は又、街へと物乞いに出かけた・・・・。 極寒のロシアでは親から虐待を受けて逃げ出した子供達が毎日ストリートに出て、食べ物を探し、少しでも温かい場所、寝床を求め彷徨っていた・・・生きて行く為に。 そして、私も今日この放送を観るまで知らなかった言葉 「債務奴隷制度」という言葉を皆さん、ご存知だろうか?? ネパールでは親のその又親・・・・ず~っと前の世代が作った借金の為、その家庭に生まれてきた子供達は必然的に「奴隷」となり、 生まれてから死ぬまでの間ず~っと奴隷として働き続けなければならない・・・。いつ終わるとも、そして一体幾ら残っているかさえもわからない借金にがんじがらめになって一生働き続けて終わる。 そして、その人達の子供、その又子供もずっと・・・・・。 一人の少女、まだ10歳そこらの子は、朝の6時から働きっぱなしで、夜の11時にやっと開放される。 おなじ年の子達が学校に通う姿を彼女は寂しそうに見送っていた・・・勿論一日中働きづめの彼女には学校に行く事は出来ないし、そしてそのお金もない・・・・。 日本に生まれて、当たり前の様に住む家や眠る部屋があって おいしいご飯もいつでも食べられてた自分・・・・。 当たり前の様に学校に行けて、文句を言いながらも「学ぶ」事が出来た。 でも、この世界にはそんな自分達の日常とは、あまりにもかけ離れた、でもその子達にとってはそれが「当たり前の日常」を送っている人が、いっぱい いっぱい います。 そして、いつの時代も一番の犠牲者達は幼い子供達なんだよね。 自分が母親になって、一段と強くこの事実を重く受け止める様になりました。 アフリカに行った時も、信号に車を停める度に、数え切れない位のストリートチルドレン達が物乞いをして来ました。 申し訳なかったけど、私はそれに応じる事がなかなか出来ずにいた・・・・。私の中での「小銭」をこの子達に上げるとする、そうしたらこの子達は取り合えず「今」この時の餓えはしのげるだろう。でも、その先は・・・・・?? 彼等には、これからも、そしてこの先もずっとずっと厳しい現実が待っているんだ。一時の同情や優しさ(と自分が信じているもの)で助けて上げるのは簡単。でも、これが真の助けになっているのかが、自分の中ではどうしても納得出来なかったんだよね・・・。 物乞いをしている子達の中には後ろを見ると親が座っていて、幼い兄弟達にやらせた方が同情も集められるだろうっていう意識なのか、子供達にせっせと行かせていた家庭もあった・・・・。 このテレビを観て、色々な事を思いました。 今、尚、世界中には様々な問題を抱えている国がいっぱいあるよね。 私達の国、日本だって、一応「先進国」だとは言われているけれど、その実態は子供達はどんどん夢を語る事を失っていってしまって今は幼い子達が起こす事件が後を絶たない・・・決して平和とは言えない国になってきてしまいました。 人が、100人いれば100通りの考え方があるのは当たり前の事。でも、それを認め合って、共存して生きて行くのは、本当に難しいことです。 でも、そんな人間達の醜い争いの中で一番に犠牲になるのはいつの世も弱い立場である子供達です。 こんな逆境や、困難の暮らしの中でも、どうして彼等はこんなにも優しく強くいられるんだろう? そして、どうして あんなに輝いた笑みをこちらに投げかけてくれるのだろう?? こんな愛おしい子供達に今の私達が出来る事・・・・ 深く、深く、考えさせられました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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