2005/03/21(月)00:23
思い出したこと・・・。
なかなか、みんなの所に遊びに行けない私なのに、
いつも気にかけてくれて、遊びに来てくれて・・温かいコメントを残してくれて
本当にどうもありがとうございます!!!みんなの一日、一日が、どうか幸せでありますように☆
日本は、連休ですね!
皆様いかがお過ごしでしょうか?
先日、あるテレビ番組を観た。
3男4女の青木さんご一家
幼い子供達を残して、ある日母親が家出してしまって、必死に母親を探し続け、やっと見つけて再会を果たしたのも束の間、結局ご両親が離婚されてしまったのだけど・・・。
そんな中、長女である一番上のお姉さんで16歳の「あざみさん」が母親代わりで家事、選択、毎日のお父さんのお弁当作り、育児・・・・と、一生懸命にがんばっていたのだけど・・・。
そんな中、彼女は妊娠してしまう。
お父さんには6ヶ月の時点まで言えずにいて・・・。
相手の男性が若くて経済力もない。生活出来るかも不安。
お父さんは、相手のご両親とも話し合いをして、自分の家族の中で生まれてくる赤ちゃんをみんなで一緒に育てようって決断したんだよね。
あざみさんも、お父さんの意見に同意して、臨月まで変わりなく今までと同じ様に家事、育児にと取り組んでいた。
ある朝、いつもの食卓。
子供達の為に朝食を用意して、お父さんのお弁当を準備して
一人一人子供達を玄関まで見送っていたあざみさん。
だけど、何だか顔色が真っ青で・・。
びっくりしたレポーターが、聞いた。
そうしたら
「陣痛、きてる・・・。今、10分感覚・・。」
って、言ったの。
何と、朝起きてからずーーっと、お腹が痛くて陣痛が起きていたのだけど、みんなに迷惑をかけられないからって・・・。
子供達を全員送り出すまでは病院には行けないって・・・
ずーーーっと、彼女は気丈にもふるまっていて、我慢していたのだよ。
玄関の隅で、みんなに隠れて必死で陣痛と戦っていたあざみさん。
やっと・・・
やっと・・・
最後の子供が学校に行って、妹さんに、「病院に一緒に行ってくれる?」
って聞いて、陣痛に苦しみながらも自分でお父さんに電話して、病院にも電話して
タクシーに乗って、たった一人、妹さんだけを連れて出産したんだ。
お父さんも仕事で行けなくて、一人で出産。
可愛い、可愛い、女の子の赤ちゃんだった。
あざみさんの日常は、お母さんになってからも変わらない。
産後の体を引きずって、赤ちゃんのお世話と平行して掃除、家事、洗濯、育児・・・
彼女には、休む時間もない。
すぐ下の、妹さんが受験を控えていて、赤ちゃんの夜泣きが始まってしまった時に
本当に申し訳なさそうにしていた彼女。
「大変な時に、赤ちゃん生まれちゃったから・・・」
って。
小さくなって申し訳なさそうに妹さんに、
「大変な時期に、ごめんね。」
って言ってた彼女の姿を見て切なくなった。
そんなお姉さんに、妹さんは
「全然、大丈夫だよ!任しとけ!」
って、力強い言葉をくれた。
妹さんは、めでたく合格。
受験の日に、あざみさんが、「勝つ」為に
トンカツを作ってあげていたのが、印象的だった。
そんな中、一家に一本の電話が入る・・。
それは別れたお母さんからで、長女が出産したのを聞いて会いたいって言ってきたの。
そこで番組は終わったのだけど・・。
私は、あざみさんの言葉が忘れられない。
「自分が、母親になって、子育ての大変さがわかって、
(出て行ってしまった)お母さんの気持ちもわかったけど。
でも、やっぱり、私達を置いて出て行ってしまった事は今でも
許せない」
って・・・・・。
彼女を見ていて、ずーーーっと思ったこと。
いーーんだよ?そんなに頑張らなくったって。
いーーんだよ?
彼女を見ていたら、状況や立場は違うにしろ、昔の自分自身を思い出したんだよね。
そして、あの頃・・・
頑張るしかなかった自分。
誰にも頼る事が出来なかった自分を思い出して、泣けてきた。
私の母親は、私が小学4年生の夏に、ある日いきなりいなくなった。
それからは・・・・・
地獄の日々。
私は、小さかった私は無力で。
そして、父親の落胆ぶりはものすごくて。
いつ彼が死んでしまうのではないか?って不安で仕方なかった。
実際、その頃彼は、死んでしまいたいってずっと思っていたらしいしね。
いつも、父親の会社に電話して、とりとめもない話をして生存確認。
で、彼が会社を出て、ちゃーんと帰ってくるか心配で自転車で夜、駅まで走って
改札から出てくる彼の姿を確認して、取りあえず安心して、見つかったらこんな時間に・・って怒られてしまうから速攻でまた、帰っていく・・・・
なんて事を繰り返していた。
思えば、私はいつも「失う」事への危機感を持って生きてきたような気がする。
もっと幼かった時も、幼いながらも母親が幸せではないんじゃないか?ってわかっていて。
彼女がいつか何処かへ行ってしまいそうで不安で。
いつも、彼女が買い物やごみ捨てに行くのをマンションのベランダから帰ってくるまでずーーーっ見ていた。
いつか、いなくなってしまうんじゃないか?
って・・。不安で仕方なかったんだよね。
それが、現実になってしまったのだけど。
母親がいなくなってから私は、一気に大人にならなければいけなかった。
今、大人になってあの頃の自分に出会えたら・・・
私は思いっきり抱きしめてあげたい。
それ程までに一生懸命で、つっぱって生きていくしかなかった私だったから・・。
忘れられない出来事がある。
ある日、いつもの様に、何とか傷心の父親の力になりたくって・・。
元気になって貰いたくって・・・
慣れないながらも一生懸命、朝食を作ってコーヒーも入れて、テーブルにセッティングしてた。
そんな中、起きてきた父親が、開口一番、吐き捨てるように言ったんだよね。
「パパが、いつ、コーヒーが飲みたいって、言った?」
わかってる。
あの頃、彼も悲しくて、いっぱいいっぱいだったって事。
だからこそ、少しでも元気になって貰いたくって、私は必死だった。
だからこそ、だからこそ、そんな彼の言葉が深く深く突き刺さった。
なんだか、あの頃の。
必死だった、そうして生きていくしかなかった自分を、あざみさんを見ていて思い出してしまったんだよね。
そんなに、いーーんだよ?
頑張らなくても、強くなくても・・・
って。ぎゅーーーーーーって、抱きしめてあげたくなったんだ・・・。
母親に対する想いも同じだった。
私も結婚して子育てをしてみて。
母親の気持ちがわかった所もあった。
でも、やっぱり心の何処かでは今でも、どうして?
っていう気持ちが残ってる。
大好きだったのに・・・。
あなたの為だったら、何でも出来たのに・・って、ね。
子供が無事に生まれたら「会いたい」って言ってきた調子のいい所までそっくりで(苦笑)
こっちが臨月の時にどうしようもなくて助けを求めた時は、見向きもしてくれなかったのにね。勝手なものです。
親になるって、大変。
子供が生まれたからって、すぐに親になれる訳じゃぁ、決してないんだよね。
私は、こんなに、刹那的に頑張って毎日を生きている
まだ、16歳のあざみさんに、いーーーっぱいの事を教えて貰った。
そして、ただただ彼女がいつか息切れしてしまわないように・・・
どうか、彼女にも心から安心して休息出来る時間が訪れますように・・・。
そう、願わずにはいられない。
子供って、自分の思い通りにならないのが当たり前で・・・。
結婚生活って、子供が交わって来ると又、違う形になっていくのが自然な事だと思うけど。
でも、やっぱりいつの時代も子供は親の選択に己を任せるしかなくって・・・。
そして、どんなに寂しい時でも気丈に振舞わなければならない時があるって幼いながらに、わかってるんだよね・・・。
今、自分の娘を見ていて思うのは
彼女はとっても感情表現が豊かだ。
よく泣くし、怒るし、そしてよく笑う。
私が子供の時にはなかった素直さで。
正直さで。
ころころ表情をかえて、こちらに真正面から向かってくるKが、愛おしい。
そして、そんな笑顔を守り続ける為に、私はどんな事だって出来るって思うんだ。
木曜日はKの、お別れ遠足でした。最後まで天候に恵まれず・・・お弁当の途中で雨が降ってきてしまって中断(涙)家に帰って遠足ごっこしました(笑)
Kがお家を描いてくれました!素敵な家だねぇ、住みたいな^^
みんなの一週間が幸せな日々になりますように!!!