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はじめに、リンクしていただいているみなさん、そして掲示板などにコメントを残してくださるみなさん、大変ありがとうございます! お返事などしておりませんが、大変嬉しく思っております!! さて、今回もコメントにお答えいたしま~す。というのも、同じようなことをおっしゃる方にもうどれほど会ったか・・・、ということで取り上げさせていただくことにしました。 他でも読んだことがあったのですが、人に迷惑をかけてまで、休む=今やっていることをやめる=神様からもらっているギフト?のようなものを、自分が抵抗して断っているような気になってしまう時があるというか、、、<中略> また人がからんでいると、尚です。せっかく喜んでくれているのに、自分の都合でやめてしまうのはわるいような気がしてしまうのです。 私も東京で10年ほど働いていましたし、土日出勤などもしていましたから、休む難しさが分からないわけではありません。 が、まず私が言っているのは、「疲れたら」休むということですね。 魂としての私たちの本来のエネルギーは、リラックスして、まったく緊張がなく穏やかなものです。ですから、私たちがこの状態のときに、宇宙のフロー(宇宙の愛、知恵、豊かさなど)にスイスイと乗れるわけです。 しかし、疲れているときのエネルギーは、緊張や重たさ、縮こまった状態です。感覚として、皆さんもお分かりになるでしょう。これは、宇宙のフローと共鳴しないので、言ってみれば、フローをせき止めてしまっているようなものです。 ですから、ものすごく簡単に言ってしまえば、リラックスしている=宇宙のフローにのっている、疲れている=宇宙のフローを止めている、ということです。(心地よい疲れの場合は違います) そして、これはスピリチュアルな考えというより、1たす1が2であるような法則です。 ですから、あなたがいくら意義を唱えようと、リラックスすれば、宇宙のフローに乗り、疲れたらプローを止めてしまう事実は変わりません。 ですから、「疲れた」と言わずに「宇宙のフローを止めている」と言い、「休もう!」と言わずに「宇宙のフローの乗ろう!」と言っても同じことです。 また、他の人が楽しんでくれているのに悪い気がする・・・というとき、自分が疲れているのなら、ほんとうにやっていることは、他の人が宇宙のフローに乗る手助けをしながら、自分は乗らずに、ストレスだけをためているということです。 これは、宇宙(神、ソース、大霊etc)が一番私たちに望んでいること、つまり自己愛と反対のことですね。 たま~に、そんなことがあっても仕方ないかもしれませんが、それを一生やっていたら、または人生の多くをそんなふうに過ごしていたらどうなるでしょう? よく考えてくださいね。迷惑をかけられない、みんなが喜ぶからと、自分を犠牲にして一生を過ごしたいかどうか。 一日休めなかったら、夜寝る前には何かすっかりリラックスできることをすると良いでしょう。仕事の最中に深い深呼吸をするだけでも、だいぶ心身がリラックスします。 でもほんとうに疲れたなら、しっかり休む。そうすれば、宇宙のフローに乗って助けがやってきます。前にも書きましたが、余計な苦労をしすぎている人が世の中にはたくさんいます。もっと肩から荷物を降ろして、楽になりましょう。 また、これも何度も書いていますが、現実は私たちが創っているんですね。神様が、ほ~ら、こんな大変なことやってごらんとあなたに試練を投げかけてくるわけではないのです。 すべての出来事が、神様からのギフトだというとき、その神様と自分を分離して考えてしまうと誤解を生むでしょう。神様という別個の存在がどこかにいるわけではないのです。 We are all one(みんなつながっている)という意味は、宇宙と私たちはつながっているということです。 つまり、私もあなたも神性を宿した神様だということです。そういう意味でいえば、私たちがここにいてあらゆる体験をしていること自体が、神様からのギフトでしょう。 でもそのなかには、疲れたら休むというギフトがあることもぜひお忘れずに! 今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!! ↓ 人気Blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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