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なぜか今週は、間違い出前が続いております。ピンポ~ンとドアのベルが鳴ったので出ると、“お待たせ!カレーだよ!”とターバンを巻いたインド人がにこやかに立っていました。(いえ、注文していません。でも、ちょっとシュール。)で、次の日もドアを開けると“お待たせ!中華の出前です!”とやはりにこやかな顔の中国人が立っていました。(いえ、だからそれも注文していません。) でも、日本では、何料理を注文してもたぶん配達するのは日本人ですよね。そこは、やはりロンドンってコスモポリタンですね。(あっ、でもドミノピザを頼んで、イタリア人が来るかどうかは不明) さて、今回は、コメントにお返事いたしま~す。次のコメントです。ありがとうございます!長かったので、省略・変更いたしました。 恋愛であれ仕事であれ、望みが浮かんだとき(この時点では自分ではポジティブな感じだと思っています)そこから望みをかなえるために行動し始めると、どうしてもいつの間にか結果に固執している自分がいるんです。じっくり掘り下げて、見えてきた思い込みは、「それがないと私は駄目人間として終わってしまう」とか「それがないと何にもできない人間として見られてしまう」「私ばっかり何にもなくって、みんなは持ってるなんてずるい」って思っています。ブログだけでは全部伝え切れませんが、こういう場合、別な思い込みが残っているっていうことでしょうか?それとも、どこかで「思い込みに気づいても、以前と変わらない」そんな自分を否定してるのかもしれません。 ↑ とても上手にご自分を見つめていらっしゃって素晴らしいです。パチパチ! とはいえ、なにも問題が解決していないので、ご本人はそんな気持ちではないでしょう。 ただ、ここまで来ているということは、だいぶゴール(変化への)に近いんです。ゴールに近いのですが、ある意味一番難しいところです。自分を見つめて見えてきた思い、例えば「それがないと私は駄目人間として終わってしまう」などは、自己価値崩壊の恐怖ですね。 誰も「ダメな人間」「なさけない人間」「役に立っていない人間」「人のお荷物になっている人間」「なにもない人間」などなどにはなりたくないものです。ですから、そうならないために、私たちはいろいろと頑張りますね。それで無事「ちゃんとした自分」や「なりたい自分」になれれば、めでたしなのですが、それがうまく行かないと心の深いところで常に自分にダメだしを出し続けます。 そうすると、自分の中に愛がどんどん抑圧され、愛が抑圧されると、不安定な気持ち、孤独感が増していきます。で、そうなると、たいてい「誰かに愛されたい」、「なにかこれっ!という確実なもの(パートナー、仕事etc)が欲しい、そうすれば、私は安心できる(自分をOKと思える)」といった気持ちが出てきたりします。 これは、「願いをかなえる方法」のスピリチュアル心理学のところで説明してありますが、エゴの不安ですね。「自己価値崩壊の不安」です。ここからあらゆるネガティブな感情、思いが生まれてきます。そして、このエゴの不安は非常に強く、根深いものです。 ですから、自分の思いに気付いたけど、結果に固執してしまうということは、この見えてきた思いをまだ信じているからなんですね。つまり、まだ、「それがないと私は駄目人間として終わってしまう」と本気で信じているんです。だから、固執してしまう。信じていなければ、もちろん結果に固執しません。 で、このエゴの不安をウソ(幻想)と見破るのは、私の経験から一番難しいことだなと思うのです。 さて、ここで自分の目の前にある女性が立っていると想像してみてください。その人は、とくに仕事もしていなければ、彼がいるわけでもなく、なにかの才能に秀でているわけでもありません。家の家事を少し手伝っている程度です。見た目も地味で、あとで顔を思い出せないぐらいです。会話はそれなりに進みますが、世間の話題に疎いようで、ときどきとんちんかんな受け答えも返ってきます。ただ、彼女と話していると、なんか頑張らなくていいや、普通でいいやと感じ、自然と自分もありのままで話していることに気付いています。いつの間にか、自分よろいをすべて落とし、自然体でいる自分がいます。彼女と別れたあと、「すごく普通の人だったなぁ」と思いながら、しかし、ちょっと心が軽くなっています。そして、また話せたらいいなとぼんやり思っています・・・・。 この女性は、自分が自分でいることで十分だと無意識に知っていて、それをただ感謝しているだけです。「こうあらねば」「これがなければ」というよろいがまったくないので、一緒にいる人も自然とよろい(“良く見せなきゃ”などといった思い)をはずせるんですね。 この女性はもちろん架空の人ですが、悟ったマスターは、実はこんなふうに目立たず暮らしている可能性も充分高いと私は思っているのです。一緒にいるだけで、私たちをエゴの不安から開放してくれる人たちです。 さて、あなたはこの女性を「あなたは、なにもしていないダメダメ人間だわ!」「なにか社会の役に立つことするべきよ!」「ずっと彼氏がいないなんてどこかおかしいんじゃない!」「新聞ぐらい読んで少し知識でもつければ」「良い年して、自立するべきよ!」などなどと批判しますか? または、「彼女、なにもとりえがないし、親のすねだけかじっていて存在する価値なし」と思うでしょうか? どうでしょう? では、この人はこの人なりに良いんじゃん(東京弁で読んでください。語尾を少し上げて軽めに)と思うでしょうか?もし、そう思えて、自分に対しても同じように思えたら、この根強いエゴの不安は自然に消えていきます。 ので、コメントに戻りますが、今はまだ「それがないと私は駄目人間として終わってしまう」という思いを信じてしまっているため、結果に執着してしまうでしょう。しかし、「それがなくとも私は私なりにけっこう大丈夫」と頭だけでなく、体感としても(肩の荷が下りる感じ)自分に入ってきたとき、いろいろなことが楽になり、また、そのとき逆にいろいろなことが達成できやすくなるでしょう。 もちろん、私たちが完全に悟るまでは、エゴはものすごく巧妙に私たちの思いの中にすべり込んできます。そんなときは、とりあえずエゴの声に気付くことですね。で、 “そうそう、忘れていたけど、自分はなにもなくてもダメでもないし、っていうか、ほんとうはすべて与えられているし、また私のエゴちゃんが「焦ろ!焦ろ!ダメになるぞ!惨めな人生になるぞ!」とか叫んでいるけど、聞かなくて良いんだっけ。いやぁ、それにしても神様、ありがとう! 私がどんなでも、あなたの無条件の愛の懐で包んでくれるんですね。そんなウソみたいなことが真実だなんて!ありがたい・・・。” と思ってみるのはいかがでしょうか? 私には、けっこう効果があります。 PS:今気がついたのですが、この女性、ちょっと寅さんみたいかも・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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