あゆあゆマロンのぼちぼち日記

2003/07/09(水)03:15

褒めて育てること

ちゅーりっぷハットは少し大きかった・・・既製品のレインハット52cmがきつくてむすこに合わなかったので(「ちょっといたい。」とか言うので)、55cmを型通りに作ったらさすがに大きかった。でもつまんじゃえばOK!(適当なわたし)子どもを産んでから、自分の子供時代を振り返ることが多くなったように思う。最近など、時間があるせいか、どんどん昔にさかのぼって行くような、これ記憶の最初に行ったらわたし、しんじゃうのでは?とか思ってしまう。(いやいや、現在に戻ってこよう!)さて子供時代。わたしは、褒められずに育った。なにをしても褒められなかった。必ずなにか弱点を指摘された。テストで95点をとってクラスで一番でも「でも一こ間違えたんでしょう。完璧に間違えない(100点をとる)ことが難しいんだから。」と言い、じゃあ100点をとって帰ると(多少満足げだったけど)あたりまえだね、という対応。学級委員になったら、新しい通学鞄をかってあげようとか特典がついたので、毎回学級委員だった。あげくに代表委員長という小学校の生徒会長役を勤めたが、特にコメントなしだった。リレーの選手に選ばれても、バスケでレギュラーになっても、最後のピアノの発表会でとりを勤めても。逆に、テストで80点をとればしかられたし、国語の成績が落ちたっとあっては書道の練習、体育が落ちたとあっては幅跳びの練習。夏休みの課題は必ず手を出して来たし、感想文にいたっては、本に線までひいてきた。(きー!)中学2年のとき、なぜか成績が全教科1つずつ下がるという事態にみまわれ(自分のせいだけども)、がっくりきていたところに、母は容赦なく突き落とす発言を並べた。(オニだー!)父が仕事から帰って来て、母親はさも「びしびし文句言ってやって!」という風に成績表を父親につきつけた。だが父親からの言葉は一言。「今回も無遅刻無欠席、偉かったな。」。そうじゃないでしょ!と唖然としている母親を後目に「そこしか見るとこないもんな、あはは。ま、次はがんばって。」とサラリと言って御飯を食べ始めた。今でもどちらの親を尊敬しているかは、言うまでもない。今、母に褒められなかったことを訴えると「そう?まぁそうね。褒めるとそこで成長がとまる気がして。」とのこと。わたしの場合、その期待に応えるべく途中までは頑張った。でも、途中から「なにをしても、この人が満足することは決してない。」と考え、期待に沿うような努力はやめた。自分がしたいと思った努力のみに全力を使うようにした。そうして、自分では母の言う事をシャットダウンしたつもりでいた。こうしなさい、と言われたことは絶対やらなかった。「わたしは母親のロボットではない。」そう、小学校5年生の時に思い始めてから。しかしながら、母の言葉の影響力てもんは量り知れない。結局、「K陵高校に行けたら後はいいから」という言葉にその高校(県立だけどもめちゃくちゃ進学校。周りは秀才ばかり。)を目指してしまったことや、大学時代していた配膳(結婚式の披露宴や割烹での配膳)のアルバイトが「酒を出すところ=水商売なのよ」という暴言をはき、「んなことあるかい!」と反発していたのに、結局辞めて親が勧めた塾講師のバイトに落ち着いてしまったことなど、自分で決めたことではあっても、あれれと思ってしまう。でも、伸びないから、なんて言って褒めてくれないのはどうかと思うが・・・。結局わたしはその寂しさを自画自賛という形で埋めて来た。そして、他者から褒められたときの対応もうまくできない。(褒められるなんて、めったにないこってすけど。)子どもを授かったとき、「この子は褒めて育てるのダ」と張り切ったが、もしかして「褒めること」がうまく出来ないかもしれない、という不安が浮上してきた。ちなみに、母は現在(特にわたしの出産後)少し褒めてくれるようになった。しかし、未だに褒めてもらうことを親に期待している自分もコワイ。(昔の分を取り戻そうとしているのかな。)そう思いながらも、昨日作ったちゅーりっぷハットをむすこにかぶせて(褒めてもらうために)、実家へ行ってしまうに違いない。(しくしく。)うまく褒めて育てる育児ができるだろうか、いやいきなり完璧にではなくとも少しずつ修正しながらでも実践していこう。

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