石橋を叩いても渡らないか、叩き過ぎて壊す人間…
と表現されてしまうことの多い私です。
よくいえば、慎重派(本当か?) 悪く言えば…。
やってみなよと、失敗したって進まないよりいいよ…と
背中を押されても叩く私から、"踏み出す私"へカメの歩みです!
さてさて今日は
今の道(人生)を歩いて無駄だったかあ?失ったものばかりか?と考えた時に、
「いやいや、無駄でもないもんだよ」と思ったことを書いてみようと思います。
それでは、それでは…はじまりぃ~
私は以前、脚本を書くことに挑戦したことが2回程あります。
どうして挑戦という表現になるのかと言えば、一つは私ひとりでは完成させることが出来ず、もう一つは途中で、他の方に脚本を頼むという形になった為です。
しかし、完成させようとしていた思いは本気でした。
作品に関わるものは沢山読んだし、映画も何作品も見ながら、作品を見つめ脚本にしていく…
元々、同じ映画をリピートして見るタイプだったので苦ではなかったし、同じ作品でもどう違うのかとワクワクして見られたのですが、いざ脚本にしようとすると会話が非常に難しい。
違う価値観、違う言葉の意味を持つ人を描くには、私の人生経験は浅かったのだと思います。
似通った価値感。
話し方がおなじ。
声に出すと違和感のある会話…。
実際、私の脚本を役者の皆さんに読んで頂いた際は
顔から火が出るくらい恥ずかしかったのを覚えています。
今もまだまだですけど、その時の私よりは沢山の人に出会って様々な価値観の違う人に出会え、言葉の持つ意味の違う人にも出会えました。
これは、私にとってすごく貴重な出会いです。
演劇だけに集中していたら、出会えなかったもの(物・者)たちばかりです。
今なら、もう少し人格の違う人を描けるかもしれない、言葉の違いや重みを感じられ描けるかもしれない…とそう思います。
私が生活の中で感じた様に、世の中にはたくさんの価値観が存在していて、共に生きている…
そのひとつひとつは何が正解で、何が不正解と白黒はっきりさせられる事ばかりではありません。
価値観の違う人が一緒に存在しているというのは演劇の面白さの一つ、
世の中にも送れる素敵なメッセージだなと思います。
人生を豊かにすると、引き出しがたくさん増えていって
昔は感じなかったことに、じ~んとしてみたり
言葉に重みを感じる
日々の生活から、演劇をみて気付きをえる
演劇をみて、日々の生活へ繋がる気づきをえる
なんとなく、理解していたつもりでいたけど
濃厚な演劇に集中していた日々から離れ、より実感しました。
演劇は、舞台装置、音響、照明、役者というフィルターを通してみる、自分の中身。
作り手ても、観客も…
日々が作品を変化させていくのですな。
…全ての作品とはいえないとは思いますけどっ。。。
やはり演劇っていいですよ。
近くに演劇が存在して日々の生活を豊かに出来たらいいのにぃ
と野心は募るばかりです。