Can you hear my tears?

2005/11/22(火)00:58

月は空に深く <第一章 後編>

月は空に深く  <連載小説>(3)

 自分宛に来たファンレターの中から「葉月結衣」って女の子を探して。  部屋に戻ってきた大地は固い声でまずそう言った。ジャングルジムで死んだ高校生の名前なのだろう。恭哉はその声にことの深刻さを再認識する。智春はきょろきょろと視線をさまよわせていた。恭哉は左足の膝を抱え込んだ体勢で宙を睨みつけながら、それでもなぜか冷静にそんな智春の様子を観察していた。 「何も断言はできないんだけど」  NET―DMの登録者を見ても、過去のライブアンケートをひっくり返してもその名前は引っかからなかった。どちらも本名を書く必要はまったく無いから「いない」のか「見つからない」なのかは誰にも断言できない。だけど……。 「でも、まず、間違いないだろうな」  誰も口にしたくなかったそのセリフを雅紀が引き受けた。不必要なコトバをこぼしたら張り詰めた空気が音を立てて壊れてしまいそうで、恭哉は息を殺していた。  何が起きたのか分からない。昨日とはまったく違う意味で頭が真っ白だった。起きてしまった状況は分かってて把握できているんだけど、まったく整理できない。  やかまし過ぎる携帯の着信音をメンバー全員サイレントにかえていた。パソコンは等間隔で「You got mail」と繰り返している。どちらも、発信のほとんどがファンの子とイベントなどを通じて知り合ったバンドマン達だった。心配しているのか、確認したいだけなのか。どっちにしろ、みんなピンと来ている。  昨日CDを買って行ったファンは全員気づいていることだろう。CDを買ってはなくとも、昨日念入りに新曲の歌詞を聞いていたヤツは(そんな人間がいるのかどうかは別として)気づいただろう。確かに断言はできない。ただ、あまりにもありえなさすぎた。「ジャングルジムの上で自殺」だなんて、常軌を逸している。 「名古屋と大阪のイベントとか、今後どうするのか、とか……そういう問題も勿論あるんだけど」  大地が必死に「仕切らなきゃ」と思っているのは他の三人に伝わっていた。分かっているんだけど感情が追い付かなくて何の手も貸せない。 「それ以前に……どうする?」  誰も、何も答えられなかった。「どうする」どころか、何を考えていいのかも分かっていなかった。 「とりあえず、活動はしちゃいけねぇだろうな」  雅紀が「それ以前に」を無視して答える。 「ちょっと待ってよ。まだ何も決まってねぇじゃん。別に俺らのせいとは限らないんだし」  智春が言ったのは明らかに負け惜しみだ。心身ともに文字どおりVanish-Plusに拾われた智春にとって、「Vanish-Plusが活動しない」というのはイコールで居場所を失うことになる。メンバー全員に共通のことだが。  気持ちが分かる分、大地は何も言えない。 (俺らのせい?)  恭哉は混乱した頭の中で必死に考えをまとめようとしていた。  昨日発売されたばかりのCD。つい最近お披露目されたばかりの新曲。 『ジャングルジムの頂上で手頚を切って』  メロディーに乗って浮かぶ歌詞。  仰々しいテロップと共に映し出される「現場」の風景。  葉月結衣……名前も知らない誰か。  発信者としてのVanish-Plusにも、もちろん責任はあるのだろう。ただ、シチュエーションを与えたのはVanish-Plusではない。あの詞を書いたのは自分だ。  ジャングルジムの上で手首を切る。それは、なんとなく浮かんだイメージだった。そもそも問題のunder the MOONは仮タイトルが「月光」で、月に身を晒すことを考えた時に思い付いた場所がジャングルジムの上だったというだけの話だ。屋根の上でも山の上でも橋の上でも、本当は何処でもよかった。そんな、たわいもない自分のイメージのせいで、そんなちっぽけなもののせいで人が死ぬというのか? 「つーか、あの曲って、ラブソングなんだと思ってたし」 「チャー」  大地が諌める。そんな論議は今は必要ない。問題は「恭哉がどういうつもりで書いたのか」よりも「それを葉月結衣がどう受け止めたのか」だし、それよりももっと大きな問題は「で、どうするか?」の方なのだから。 「だって、俺ら、そんなつもりなかったじゃんか」  もう衝動で喋ってるな。ぐるぐるした思考の中で、それでもそう冷静に分析する自分を恭哉は持て余していた。瞬きが増えているところを見ると、冷静沈着っぽい大地も動揺しているんだろうな、とか。こんな時になっても「仕切る役」を大地に譲ったままでいる雅紀さんってやっぱエライな、とか。考えなきゃいけない問題は山ほどあるのに、頭に浮かぶのは本筋とは関係ないことばかりだ。   今夜も空はとても遠すぎて   注ぐ光は体の中までは貫かないけれど   灼ける様に冷たい雪が降ればいいのに   雨の様に硝子の欠片が降ればいいのに   そんなことを祈るのはもうやめたんだ   そう俺は随分と久しぶりに   「夜の底」を見つけ出したんだ   砕けて散る赤い塊   俺が抱えきれない分をこれからは   花束にして貴方が抱えていて   ジャングルジムの頂上で手頚を切って   血の涙で君を振り返らせよう   流れ出したその温もり(メロディー)で   せめて貴方だけは凍えずに済む様   月光に紛れて心からの涙(ねつ)を   俺がここにいる、その証に  智春は「ラブソング」といったけれど、厳密にはそれも違う。 (なんなんだよ、これは)  腕を払って机の上においてあったからっぽのペットボトルを倒して恭哉は立ちあがった。思った以上に大袈裟な音がペットボトルと共に床に転がった。 「恭哉」  大地が諭すように名前を呼んだ。無視してリビングを横切る。「悪い、ちょっと頭冷やしてくる」と……声に出していったのか心の中で思っただけなのかも分からない。扉を閉める音も大地が名前を呼ぶ声も、何もかも聞こえていたけれど何も聞こえなかった。涙も出なかった。哀しいのかどうかすら、自分でも分からなかった。ただ……内臓を全て黒く塗りつぶされたかのような、言いようの無い息苦しさに立っていることができず、恭哉はそのままドアを伝う様にして崩れ落ちた。  問題は、「何故起きたか」ではなくて、「これからどうするか」だ。分かってる。そんな事は分かっているけれど…… (届かない)  頭の中が整理できないのは、状況のせいではなく、それ以上に自分が絶望しているからだ。人が死んだということより、それがうちのファンだったということより、「届かなかった」ということに。歌に乗せたメッセージが、歪んで伝わるという当たり前すぎる現実。  自分が発信しているものがこれだけの影響力をもっているものだなんて。いや、発信した意識さえも無い。心の中に抱えきれず、「歌」という形で垂れ流していた自分の感情に、どんな責任を取ればいい?  葉月結衣。  恭哉はその名前を知らなかった。多分、きちんと写真を見てもピンとこないのだろう。現に、あんなに感動した昨日のライブでさえ、オーディエンスの顔を誰一人として思い出すことができない。みんなシアワセに燃え尽きているのだと、勝手にそう信じていた。  不特定多数の「誰か」が、今もVanish-PlusのCDを聞いていると思うと、とてもじゃないけれどこれ以上どんな言葉も口にできなくて、恭哉は自分の部屋で息を潜めていた。  時計の音が響く。今までそんなことは一度も無かったのに秒針の音が雅紀のカウントに聞こえてしまい、頭の中では次々と音楽が鳴り始め、恭哉はそれを必死で追い出そうとした。 (ジャングルジムの上でも公園の隅でも、何処でも良かったんだ)  そんなことが伝えたかったわけじゃない。   「夜の底」を見つけ出したんだ   貴方とであったから  髪を掻き毟り、引き千切って、昨日使い果たしたはずの喉の限界を超えた悲鳴を上げた。 (そんなつもりじゃなかったんだ)  握りしめた拳を床に叩き付ける。胃の中から何かが込み上げてきて、内臓のどこかがギギッと軋んだ。浅い呼吸。目を閉じて下唇をかみ締める。  ……「under the MOON」は、ライブに来てくれる全ての人への感謝の歌のつもりだった。

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