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2008/11/21(金)11:29

「お礼を頂くつもりでお世話をしたのではない」という潔い言葉には頭が下がるが、"お世話になったらお礼をする"のが常識であり「お礼をしないと心苦しい」という情もわかる

私だって「お礼を頂くつもりでお世話をしたのではない」という立場をとることはあります。しかし、お礼の申し出があれば素直に受け取ります。 常識が情に優先する ここで; 常識とは、共通の認識であり、論理的・全体的・より抽象的である。 情とは、個人の認識であり、感情的・個別的・より具体的である。  "お世話になったらお礼をする"のは常識です。常識とは集団の共通の認識ですから、いかなる個人の認識からも独立しています。「お礼を頂くつもりでお世話をしたのではない」も情ならば、「倍返ししたい」も情です。二つの情が相容れない場合は常識で判断します。そのための共通認識です。「半返しでもしたい」で折り合いを付けてください。 "お世話になったらお礼をする"常識はもらい手の行為だけを規定しており片務的です。仮に"お世話をしたらお礼をもらう"常識が存在したら、送り手も「お礼を頂くつもりでお世話をしたのではない」と突っ張っていられません。 贈り物はもらい手の心をもって成就する  お礼はともらい手から送り手への贈り物です。お礼を押しつけるのではなく、あくまでも説得します。 送り手ともらい手における常識と情     送り手  もらい手  常識   お世話になったらお礼をする  情  ・お礼を頂くつもりでお世話をしたのではない  ●お礼をしないと心苦しい  ・半返しでもしたい ・倍返ししたい

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