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ぷらいべーと・たいむ

実体のないものを求めて

 

記憶の欠片

幼い頃の記憶がない。そしてどんどん消えて行く
すべてを忘れてしまいたかったせいだろうか
思い出のかけら集めても、それはいびつに壊れており
何がホンモノで、何が後から作ったものなのか分らない

思い出なんてものは後からいくらでも造りかえれるものだ
無意識下での記憶までは変えれなくとも、意識できる思い出は
自分が望めば、いい思い出にも、悪い思い出にもできるのではないか

幼い頃の記憶を辿る
視覚的映像がフラッシュバックする

王国会館のトイレに通じる茶色い開き窓
二階の部屋の隅、竹の棒、あいつの眼

他に?
そう、思い出した

夜、アイツの家に帰ってしまう母の
私に「じゃあね」と手を振った時のあの笑顔。
今夜もただ殴られるためにアイツの家に帰っていく母の
私に見せたあの笑顔。

あの瞬間、私はあの笑顔だけですべてが満たされていた。
あの時、私は母の事が好きだと思った。
「行かんといて」というコトバを発するかわりに、強く強くそう思った。
そして私も「じゃあね」と手を振った。

憎しみはすべてを消してしまう
楽しかった思い出も、愛し合えた喜びも

私の18年間は、一体なんだったんだろう
自分を整理してみる
見えてくる点は多いが、いくらその作業を行っても、
文字にするたびに
いや、それは嘘ではないか…あの頃の空想と現実の区別がつかなくなる
本当にそう思っていたのか、今の気持ちからそう思うのだけじゃないか
そんな気がしてくる

もう何にも感じなくなってしまった自分が居る
神の存在も、憎しみも、怒りも、愛も。

無感情、無感動

そう、私が幼い頃、憧れていた境地そのものではないか

涙が止まらなかったあの頃
ロボットになりたかった
もう、何も感じなくてすむように

そして、今ここにあるのは、空っぽの自分
ロボットにもなりきれなかった空っぽの抜け殻

恋でもすれば、変われるのでしょうか
誰かを強く愛すれば、私は変われるのでしょうか

 


 

形なきもの

求めていたものは
ありふれていそうな幸せ
一つの食卓を囲む家族

否

求めていたものは
悲劇のヒロイン
両親をかばってアイツに刺されたいたいけな少女

死んだら…みんな泣いてくれるかな

ぼくは、何に憧れ何を求め何を得…そして何を棄ててきたのだろう

ぼくを身体ごと包んでくれる暖かいぬくもり
ぼくが帰る唯一の場所

たぶん、それがぼくの憧れ求めてきたもの
ぼくは、君の元へ帰ろう
君のぬくもりの中へ戻ろう
そして君を包もう

思い出のかけら集め
廃墟に茫然と立ちつくすくらいなら
すべてを忘れてしまえるほどがむしゃらにゆきたい。

バカでいいから。

バカのままでいいから。

その時に君のぬくもりがココにあれば…それが一番いい。

すべてを抱きしめて生きていきたいんだ。ただそれだけだから。

 


 

母への手紙~アルプスの山々を眺めながら~
見渡す限りの青空、白く輝く山々 雄大なこのアルプスの自然に囲まれ そのあまりの美しさに触れたとき 私は自分がどこかとてつもなく遠いところへいってしまったような気がして 「ワタシは今ここにいる。」という実感が持てず、 それでも私は、 「ワタシが今ここにいるんだ」と思います。 すると、私の身体の奥底の方からは なにか新鮮で熱い感情が沸沸と湧き上がってきます。 その感情は 私にとって「生きる力」と呼べるものに似ている気がします。 美しいものはただそれだけで美しく 私にとってはそれ以上でもそれ以下でもなく 私は「ワタシ」の存在しか感じられず そこに私以外の「だれか」の存在を感じることが出来ません。 幼い頃からそうでした。 山に登っても海を見つめても、 私が感じているのは常に「ワタシ」であり そこに「エホバ」の存在は感じられず いくら口で「エホバ」とか「エホバが創られた物」と叫んでみたところで それは実体が伴わず 私は突然の空虚感におそわれ、 同時に、「エホバ」を感じられないという罪悪感に苛まれるのです。  正直にいって私は「エホバ」を真に感じたことがないのではないかと思います。 最近そのことを自分自身やっと素直に正直に認めることができるようになりました。 でも、ほんとはずっと前からそんな気がしてて、伝道者になった後、 私はスランプに陥りました。 伝道者になる前の、もっと幼かった頃はそれでもよかったのです。 あの頃は、ただお母さんに鞭されないように生きようと思っていたし、 「いい子」といわれることがうれしかったし、 確かに「エホバ」というものを信じていましたが、 それはたぶん幼い子供が「サンタクロース」を信じるような感情に似ていたと思います。 もちろん考えるという能力はまだ身についていませんでした。  しかし、伝道者の次の段階、神に献身するという段階になって私は非常に考え込むようになりました。 「サンタクロース」には献身できません。 私は必死で「エホバ」を感じようとしました。 祈って、泣いて、吐いて。 それでも私は「エホバ」を感じる事ができず、その信仰のなさとそれゆえに生じる罪悪感からでしょうか… 幼い頃から私を強く支配していたハルマゲドンの恐怖にどんどんココロが蝕まれ 「どうか、今、私を死なせてください。」と私は「エホバ」に必死で祈りました。 (その頃、2世対しては、「ただ組織に居たらいいというわけではなく、 年頃になっているにも関わらず、パプテスマを受けてない人はハルマゲドンを通過できないかもしれない」 というバプテスマを促す噂が流れていました。)  またあの頃は、ココロもカラダもまだ幼かった私にとっては、 つらく重荷だった家庭内の事件も幾つか続きました。 いろんなことに疲れ、すべてが嫌になり遺書まで書いても、 実際に死のうとすると結局何も出来なかった私は、 ただひたすら受身的に死ぬ事を望んでいました。 ベッドの中でもがき身体をかきむしりながら「どうか、エホバ、助けて下さい。」と祈り、 そのうち、それは「どうかこのまま永久に目覚めませんように」という祈りにかわるようになりました。 私はいつも泣きながらいつのまにか眠っており、しかし朝になるとお父さんのあのいつもの高声でやはり目覚め、 気付くと、昨日のあの強い感情はだいぶ薄れており、私はいつものように学校へ行きます。 そのうち、「エホバ」なんていない、いるわけがない、だから自分で生きよう、一人で生き抜いていこうと思うようになり、 そう思うと、私の内部でなにかがはじけ、私は急に楽になり、生きようとする力が私の奥底から沸いてきました。 しかし、その自分で生きようとする、その行為は高慢なことかもしれない、 感謝のないことなのかもしれない、サタンからの誘惑なのかもしれないと思い、 ハルマゲドンの恐怖に囚われることもありました。 「エホバ」の存在は感じないくせに、終末の恐怖だけは感じるのです。  私は自らエホバを知ったわけではなく2世だからそう思うのかもしれないと思い、 また、あの会衆内に私はどうしても自分の居場所を見出せなかったこともあって、 大学に入って、新しい地でもう一度、一世として新しく学び直そうと思いました。 でも、結果はこの通りです。  私は通学時、毎日のようにこのアルプスの山々を眺めながら、美しいものを見て美しいと思います。 そしてそれ以上のもの、つまりそこに「エホバ」の存在を感じるかどうかは、その人個人の感性の問題であると思うんです。 きっと私のような人種もいるのです。 あなたと同じように感じることのできない人間もいると思うんです。 そこに、あの人は真理が何かをちゃんと分っていないから、 感謝がないから、信仰がないからなどと、 人が人を裁く事はできないと思うんです。 すべての人が自分と同じように感じることはできないと思います。 それなのに人が人の心を裁くからこそ、自虐にはしる2世達、 反対に外に向かっての攻撃にはしる2世達がでたり、罪悪感からのうつ病になる人がいたり、 エホバの証人の内外でさまざまな問題が現実におきていたりすると思うんです。 人の心を裁けるのは、神だけであるはずじゃないのですか?  今、私は生かされているがゆえの自然と湧き上がってくる感謝の気持ちのようなものはあります。 私の出会ったすべての人達、そして体験してきたいろんな出来事から、私はいろんなことを学び、 そのような経験をしてきたからこそ今の私があると思えるんです。 私はこれからも、いろいろな人たちとじかに接し、そこからいろいろなことを学び続け、成長していくんだと思います。 「いい子」ぶりっ子していたと思うあの幼き日も、そういう自分自身を殺したいほど嫌いになり、 死にたい死にたいと口癖のように願い、でも死ねなくて、 生きていればなにかあるかもしれないともがき苦しんでいたあの頃も、 私はその時その時を必死で生きてきたと思います。 そして今現在も、神なきこの混沌とした世の中で弱い自分とたたかいながら、強く生きていこうと思っています。  私は今生きており、そのことを身体で実感しており、できるならばこの私の経験を生かして、 絶望の淵で喘いでいる子供達や、エホバの証人の組織を出た後も、この混沌とした一般社会になじめずにもがき苦しんでいる人達、 もうもがくことさえも疲れてしまった人達に、生きるコツと、 生きていく上での一瞬一瞬の輝きをその人自ら見つけ出してもらえるような仕事をしたいと考えています。 人の心の闇は深く、それを直視することは難しく、私は出口の無いところへ自ら足を踏み入れようとしているのかもしれません。 でも、そうすることが、私が今まで生かされてきた、そしてこれから生きていく意味ではないかと、現時点では思うんです。  だから、私はもしハルマゲドンというか、「神」の前で言い開きをする時が来たとしても、 私は正直に言い開きをすることができると思います。 これが私の生きてきた人生-私の受け入れてきた道であり、私の進むべき道だろうと私自身が思えるからです。  そういう中で私は「神」というものを考える時、遠藤周作の『深い河』で描かれていたガンジス川を思い浮かべます。 -生も死も、聖も邪も、人間のすべての叫びを包み込み、黙々と流れつづける深い河- そんなことを考えながら、私は、前から行きたいと思っていたインドへ行ってこようと思います。  別に何かを求めにいくというわけでなく、ただ純粋にガンジス川を見たかったんです。 普通に旅行を楽しむつもりです。このようなことができるのも学生時代だけでしょうし、そこでの出会いを楽しむつもりです。 関西空港から出発するので、行く前には一度そちらに帰るつもりです。

 



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