ぷらいべーと・たいむ

2005/02/27(日)19:25

原体験

性的トラウマ・嗜好。(21)

SMに走ったのは、もともと素質があったのか、それともエホバの証人の母親に育てられたからなのか? 小さい頃の、エホバの証人流のムチで叩かれつづけてきたせいなのか? この日記をはじめた当初は、そんなメールをよく頂いた。 ・・・んー、どーでしょ。 どうなんでしょうねぇ?? ・・・まぁ、私は「SM」に走ったというよりは、最初は「スパンキング(お尻叩き)」に興味があったというだけで、 「ご主人様」による「調教」というものを求めていたわけでもないし、、、 「SM」と「スパンキング」には微妙な違いがあるのかもなんだけど、それは別の話しということにしておいて。 もともともっていた私の素質がエホ証教育によって引き出された・・・のかな。 んー、こういう話しは難しい。 「エホバの証人」の母親に育てられたこと、その組織の流儀で母親から叩かれたこと、 それは、自分がそこに目覚めるきっかけになったというだけで、 私は、そのせいでこうなったとか、それだけが原因だとは思っていない。 幼い頃の体験・・・、 それは何かに目覚める契機、今後の人生を方向付けていく一つのきっかけ。 それを否定的な意味合いで表現するならば「トラウマ」ってことになるんだろうけど。 他にもいくつものきっかけがあって、その時々に応じていろいろなことを考え、 私が生きてきた中で経験してきた幾つものきっかけが積み重なって、私はSMの世界に足を踏み入れた・・・んだと思う。 親が「エホバの証人」だったせいで、ムチで叩かれてきたせいで、ただそれだけでこうなった、 というような単純なものではないだろうし、私は、エホバの証人のムチ教育は否定しても、SM自体は否定していない。 その昔、学生時代の頃はカウンセラーになりたいと思っていた頃もあったが、SMは、その時に頭をよぎった裏の世界でもあった。 人間の異常性、被虐・加虐性をプレイという合意の形で受けとめあえる、そんな究極の癒しがその世界にはあるような気がして・・・。 SM・・・歪んだ世界かもしれないけど、そうでしかバランスを保てないこともあるのではないか。 自分を傷つけたい衝動・・・それが自殺に繋がるくらいなら、SMを。 人を傷つけたい衝動・・・それが犯罪に繋がるぐらいならSMを。 SMという関係性においてなされることは、人や場所を間違えてやれば犯罪行為だ。 ・・・だからこそ、こういう場も、こんな社会には必要なのではないか、、、と。 まあ、そんな理由だけじゃなく、 昔から気付いていた自分の中の被虐性、その願望をとことんまで追及したくて、 でも、頭の中だけでもやもや考えても、その世界は分からないし、いつまでたっても私は変わらない。 そう思って足を踏み入れた。 私は、自分自身で気付いていた自分の中の歪みを、そういう世界に身を委ねることでバランスをとろうとしていた。 いつの頃からだろう。私はぼーっとするとよく妄想の世界にいた。 ある時の私は、孤児院で暮らしている少女になっていた。 年下の女の子に誘われるままに、深夜、孤児院を飛び出すのだが、外で万引きをして掴まり、 寮に連れ戻されて院長に叩かれる・・・そんなシチュエーションをよく想定してた。 しかも私は年上だったから、罪は重く、誘った本人よりも数倍多く、痛い道具で叩かれたりするのだった。 ・・・リアルでは万引きしたことは一度もない。 ビビリやの私は、親から「ムチ」という言葉が出ただけで逃げ回ってたし、 現実には叩かれることのないようにうまくやっていたけど、頭の中はいつもそんな妄想に満ちていた。 矛盾だらけの私・・・助かったのは、そんな妄想は、人にいったら恥ずかしいことだということが、 幼いながらにちゃんと分かっていたということだ。 ・・・いつからだろう。 その妄想に性的なものを感じていることを、はっきりと自覚し始めたのは・・・。 小学生くらいの時には、すでに気付いていたと思う。 小学校2年生で、兄に犯られそうになったときも・・・。 私は、きっと、既に、なんとなく、気付いていた。 私が男性不信になり、もがき苦しんできた原因は、あの事件にあったが、 ・・・私がずっと苦しんできたのは、「兄を許せない」という気持ちの、そのもっと奥深くには、 「・・・オマエモ・・・あの時「懲らしめの鞭」という言葉に少しでも反応しなかったのか?」 という、打ち消しがたい問いがあったからだ。 誰にもいえない問い、私の中の矛盾・・・。 成長すればするほどその問いは私の心に圧し掛かってくるようになった。 考えれば考えるほど私の中がいろいろが引き裂かれそうで。ずっとずっと苦しくて。 そんな自分を認め受け入れることができるようになったのは、SMと出会ったおかげ・・・だとも思う。 自分自身も含め、人間のどうしようもなさを愛しく思えるようになり、 憎しみと自己矛盾の苦しみから自由になったというか、、、 性というものに対して前向きになれたというか。 こうして心境が変化し、自身の壁が自然に壊せるようになってきたおかげか、 互いに自身を曝け出し、分かち合う、その過程を楽しみながらいっしょに生きていきたいと思える相手も身近にできた。 まぁ、クラブで働くことによって性病をもらってしまったり、それによって相方に迷惑をかけてしまったこともあり、 自分の考え、取ってきた行動が正しいとは思えない。 むしろ浅はかだった気もするし、純粋なSMがやりたくても、ルールを守らないというか、 こちらの意思を無視して本番をしようとする店長みたいな男も多い。 「SMクラブで働いていたことはいい経験だった」と、手放しでいうことはできない。 でも私が兄を・・・「男」というものを心の底から許せ受け入れることができるようになったのも、 ・・・相方に心を開く、そんな下準備みたいなものも、ここで出来上がったんだと思う。 SMに走ったのは、もともと素質があったのか、それともエホバの証人の母親に育てられたせいなのか? 小さい頃の、エホバの証人流のムチで叩かれつづけてきたせいなのか? ・・・私にとって、その答えは、どちらでもいい。 どちらでもあるしどちらでもない。 たしかに過去のトラウマが引き金にはなってるんだけど、 「過去に囚われて前にも後ろにも進めなくなるくらいならバカでいいからがむしゃらに。人生イキオイじゃぁ!」 ・・・という慎重なくせに無鉄砲な私の、自分なりのバランスのとり方と思って、自分で判断・選択してきた道。 恨みも後悔もない。すべては今の私に繋がっているから。 それでも、 こうしておけばよかったのかな・・・。ああしておけばどうだったんだろう・・・。 そんなことを思うときもある。べつにSMの件に限らずとも。 日常生活の中で、私が下してきた数々の判断について思い返して、どうだったのかどうすべきだったのか、と。 私が下してきた何らかの判断において迷いの中にはいりこむと相方がいう。 「あづみが選んだことが答えだよ。難しく考えるな。」 私はその言葉が好きだ。

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