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山田維史の画像倉庫

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AZURE8080

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2005/09/15
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『映画の中の絵画』
連載22 『白と黒のナイフ』3

 ジャックの厩舎がある別荘の寝室。ベッドの枕上にかけられたアルチンボルドの『春』と『秋』。
 『春』は様々な種類の花の集合が左向きの人物のポートレートになっている。胸から上が見えている衣服も種々の植物の葉の集合である。鼻と見えるのはまだ開花しない百合、あるいはズッキーニーの花かもしれない。健康的なバラ色の頬は、赤いバラ。唇も小さな深紅のバラの蕾である。肌は白やベージュ色をした五弁の小さな花。眉はサクラソウ科のトラノオだろうか。頭部は、はなやかな帽子を表わして、いろとりどりの数えきれないくらいの花々が咲き乱れている。立襟のレース飾りは白いヒナギクやノイバラや、名も知らぬ小さな花々である。
 『秋』もまた果実や穀物の集合が、右向きの人物の胸像になっている。桃やらイチジクやらジャガイモやら。ニンニク、玉蜀黍、葡萄、ヘビイチゴ、ウリ、ナス、南瓜。衣服は麦藁を編み込み、襟や片先には麦の穂がたわわに実っている。胸元に誇らしげに大きなアーティチョークを飾っている。

 何もかもが克明に描写され、厳密に計算されて配置されている。奇想の画家ジュゼッペ・アルチンボルドの面目躍如たる代表作である。
 アルチンボルドは1527年にミラノに生まれた。先祖はドイツ人らしい。ミラノで芸術家として名を挙げたのちプラーハに移り、皇帝フェルディナント1世に仕え、その後、マクシミリアン2世時代を経て、かの有名な〈驚異の部屋〉を王宮内につくったルドルフ2世のなみなみならぬ寵愛をうけることになる。ルドルフ2世は彼に宮廷画家としての名誉と、莫大な財貨をあたえた。アルチンボルドは皇帝の旺盛な好奇心をみたすため、ありとあらゆる種類の珍奇なものを蒐集し、〈驚異の部屋〉の完成に寄与した。巨大な蠕虫(ぜんちゅう:十二指腸虫の種類)、侏儒(しゅじゅ:こびと)、巨人、サソリ、シャム双生児、魔法の石、魔術道具、自動楽器、時計、化石、レンズ、凹面鏡や凸面鏡、アジアや南米のめずらしい品物。----この世を構成しているあらゆるもの、あるいはあの世を垣間見せる魔術まで、摩訶不思議なものならなんでもよかった。
 画家としてのアルチンボルドはこの皇帝を満足させるために、奇想天外な絵を制作しつづけた。『春』も『秋』もじつは季節神としてのルドルフ2世の肖像なのである。
 彼の絵をすこし専門的に見てみよう。すぐに気がつくことは、『春』にしろ『秋』にしろ、1点の絵を構成しているのは〈同一物〉である。春に咲く花々。秋の収穫物。それ以外の何かほかの物、たとえばシャベルであるとか、籠であるとか、鎌であるとか----普通に連想される物さえまったく描かれていない。たとえば『司書』という作品は本の集合からなる人物像である。『水』という作品は魚類だけからなる人物像である。何か種々の物のばらばらな分裂状態を統合したのでは全然ない。しかもそこに描かれた物はまったくデフォルメ(変形)されていないのだ。より人間の横顔らしくみせるために花の形をねじまげたり、ジャガイモに穴をあけてみたり、引き伸ばしたりはしていない。ひとつひとつがまるで図鑑絵のようである。
 このような〈同一〉の断片の集合が結果として〈奇想天外〉を生むことを、西洋思想史ではディスコルディア・コンコルスDiscordia concorsという。すなはち〈一致する不一致〉である。アルチンボルドの作品においてこのことを指摘するのはけっして無意味なことではない。というのは、----これはグスタフ・ルネ・ホッケの見解の受け売りだが----〈一致する不一致〉を求める努力は、魔術的な自然哲学や魔術的な占星学の影響下にあるからである。これに反してもっともかけ離れた存在の断片を寄せ集めて一致を示そうという考え、これをコンコルディア・ディスコルスConcordia discors、すなはち〈不一致なる一致〉は秘教的なピュタゴラス主義とアリストテレス主義が混合したところの影響下にあるという。詳しい解説をする余裕はないが、後者の思想は、世界の神秘的な一致を示そうというものである。
 アルチンボルドの絵画は〈アレゴリー的〉ではあるが、そこに何か寓意をさがしもとめても無駄である。寓意画ではないのだ。

 私たちはアルチンボルドの芸術に少々深入りしそうになっている。映画『白と黒のナイフ』に戻ろう。
 テディとクラズニー検事が判事の部屋に呼ばれて、「なにか言うべきことはあるか」と判事に尋ねられ、「検事は証拠を隠しています」とテディ言う。判事は、そのような行為は検事の免許が剥脱されることだと忠告する。すると進退きわまったかのようなクラズニー検事はテディにむかって口走る。「ジャックは長い期間をかけて殺人を計画したんだ。異常者じゃない、残忍な冷血漢だ。モンスターなんだ」
 緻密な計画。ひとつひとつを目的にむかって構成してゆく力。人をそらさない当りのよさ。甘い強引さ。実行力。----ジャックのキャラクターがそっくりそのままアルチンボルドの絵にあてはまる。『春』と『秋』、この2点のルドルフ2世の風変わりな肖像画は、まるでジャック皇帝の肖像のようだ。妻を殺害し、まんまと莫大な遺産を相続して、フォレスター家の文字どおりの主人となった暁の。

 第4番目の絵。
 映画の終局で、私たちは黒覆面の男とともに、テディの家の寝室に入る。ベッド・ヘッドのむかって右よりの壁に、19世紀のアメリカン・ナイーブ画家の『少女』の絵が掛けられている。ピンクのワンピースを着て、左手をテーブルの上の花瓶の花にそえ、右手には一輪の花を持っている。
 この絵の作者の素朴画家が誰であるか特定できないものかと私は調べてみた。そして手持ちの資料のなかに同じ構図の作品写真を発見した。しかし同時に判明したことは、この構図は1850年前後のアメリカン・ナイーブ画の一つの流行だったらしいということである。というのは作者違いの同じような絵がほかにも見つかったのだ。
 そんなわけでテディの寝室の絵の作者は特定できないが、この絵によってテディの好みがはっきりする。そのことは、彼女のオフィスに飾られていた絵も、彼女の子供が画用紙に描いた2枚の絵のほかは、みな19世紀の田園風な風景画だったことを思い出すだけでよい。
 テディは汚い検事の世界に嫌気がさして、4年前にみずから昇進の機会も検事補の職も捨てていた。彼女のこころには汚れない素朴さへの憧れがあったかもしれない。弁護士として法廷に立つようになったいまも、テディの身の回りに飾られている絵は、古い時代のいわば素人画家の作品なのである。

 いかがであろう。たとえ深読みだとしても、それが過ぎるというほどでもないのではあるまいか。映画のストーリーを逸脱しているとは言えまい。主人公たちのキャラクターを巧妙にセット飾りの絵のなかで説明している。いや、逆か。----主人公の人と成りをみると、飾られた絵の趣向が納得できるということだ。パン・フォーカスで撮影されているのではないので、少しボヤケテ映し出されるセット飾りが、こんなにもよく考えられていることに私は嬉しくなってしまう。





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Last updated  2005/09/16 03:22:35 PM
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