「お魚さん、天国に行きたかったのかなぁ?」~命をもらって生きるということ~
少し前の話ですが、ちょっと印象深い出来事だったので、日記に書こうと思います。 愛知県と岐阜県の境に、河川環境楽園という施設があります。淡水魚水族館の「アクア・トトぎふ」の他、船に乗れたり、夏場は水遊びができたり、大きなアスレチックがあったり、広い芝生があったり、お金をかけなくてもしっかり遊べるスポットです。(^^) そこで、義父がアルバイト(定年退職済みですが、近所の人に頼まれてお手伝いしてるそうです)すると言うので遊びに行ってきました。 当日行くまで、義父のアルバイトが何か知らなかったのですが、その日のアルバイトは「やな漁体験」のスタッフでした。 「やな漁」と言っても、きっと知らない人が多いですよね。調べてみたところ、『「やな」とは川の流れをさえぎって竹のすのこをかけ、産卵のため下流へ下る鮎を捕える伝統の漁法のひとつです』とのことでした。長良川では、川辺にやながあり、川を見ながら鮎を食べられるお食事処が結構あります。私も小中学生のころは、祖父に連れられて毎年夏になると食べに行っていました。(*^_^*) さて、「やな漁体験」、環境楽園内を流れる浅い川にやなの仕掛けを作り、その上に鮎を流して、子どもたちが手づかみで捕るというものでした。体験料は700円で、鮎2匹。先に行っていた義妹たちが、うちの分のチケットを2枚買っておいてくれたので、さーちゃん(3歳8ヶ月)とやっくん(1歳1ヶ月)、そして保護者としてパパが一緒に体験してきました。写真好きな私は、もちろん最初から写真係を買って出ました♪(^^) この体験のすごいところは、むしろ鮎を捕った後にありました。 まだ動いている鮎をどうするのか? なんと、やなの仕掛けのある川の側に、捕った鮎に串を刺し、塩を振り、焼くための場所が作ってあったんです。 それぞれに係の人がいて、しっかりと教えてくれます。私は少し離れたところにいたので、はっきりは聞こえなかったのですが、串を刺すところのおじさんは、子どもを相手に「これは、こうやって刺すんだよ。これを○○って言うんだ」とかきちんと説明しながら、一匹目は子どもが持つ鮎に手を添えながら、おじさんが串を刺します。二匹目は「できるかな?」と子ども主体で、子どもに串を持たせて鮎を刺させます。 正直、驚きました! 生き物が好きで好きでしょうがないパパは、さーちゃんの後ろで、ちょっと顔面蒼白気味です。 私も、さーちゃん、大丈夫だろうか……と心配したのですが、無垢な子どもってすごいですね。さーちゃん、興味津津といった様子でおじさんの「できるかな?」の言葉に「うん」としっかりうなずいて、自分からとても上手に鮎に串をさしました。 そして、さーちゃん以外の子も、「気持ち悪い」とか「嫌だ!」っていう子が一人もいなかったんです。 やっくんの分は、本人ができるわけもないので、パパが代わりにやったのですが、その場では何とか串を刺したパパ。だけどすぐ後に、「なんて残酷なんだ」「食べられない」等など小声で。私は「一生懸命頑張ってるさーちゃんの前では、絶対に言わないでよ!!」とくぎを刺しつつも、私が鮎を持っていたら、やはりとても串を刺すことはできなかったのではないかと思います……。 それでもパパ、串ざしの鮎を持って嬉しそうなさーちゃんには「上手にできたな」とか声をかけてくれました。 それから、塩をかけて、焼き場に行きます。 塩の付け方も、背びれに付けて、尾びれに付けて……と、きちんと説明をしながら、本人主体でやらせてくれます。 焼くところでも、おばさんが立っていて、「もう少し真ん中の方がいいよ」とか「金色になってきたら、最後に立ててお腹をやくんだよ」とかアドバイスしてくれました。 スタッフの人たちのすごいところは、終始、やってあげる……ではなく、一人ひとりに丁寧に説明しながら、子どもが自らやるのをお手伝いするという姿勢。仕事とはいえ、なかなかできないことだと思うのですが、全員が笑顔で、手を出しすぎずに、子どもの作業を上手にサポートしくれる姿勢が本当に印象的でした。 焼きあがった鮎は、油が乗って本当に美味しそう!! プラスチック容器・輪ゴム・割り箸まで用意されているので、容器に入れて、すぐ側のベンチをテーブル代わりに、みんなで食べました。 その回の体験の手伝いが終わった義父がやってきて、さーちゃんに、「どうだ? うまいか?」と聞くと、さーちゃんは「うん! 美味しい!」とパパがほぐしてくれた鮎を食べながら、ニコニコ笑顔でした。(*^_^*) でもパパは先に行った言葉通り、喉を通らなかったようで、「ちょっと……」というので、皆まで言わせず「分かってるから! 何も言わないで、手をつけなきゃ誰も気がつかないから!」と。だって、さーちゃんは心からの笑顔でしきりに「美味しいねぇ!」と嬉しそうに食べているんですもの。その気持ちを曇らせるようなことは言えません。「さーちゃんが捕ったお魚だもんね。すごく上手にできたね!」と私も一緒にいただきました。 やっくんは、大好きな犬がたーっくさんいたため、朝からはしゃぎ回って追いかけたりしていて、その頃にはくたびれてスリングの中でお昼寝中でした。家に帰ってから遅い昼ご飯に食べさせたところ、美味しそうに食べてくれました。(^^) さて、ここまでなら、ただの体験談ですが、このお話には続きがあります。 夜、寝る前に暗くした部屋のベッドの中で、さーちゃんとお話ししました。「今日、楽しかったね」「うん!」「さーちゃんが捕った鮎、美味しかったね」「うん!」 そして、少しの沈黙の後、さーちゃんが言いました。「お魚さん、天国に行きたかったのかなぁ?」 本当に純粋な疑問といった聞き方でした。 一瞬言葉に詰まりました。 鮎が自ら天国に行きたいと思ったはずはありません。 鮎は、掴み捕りした時は確かに生きていました。そして、串を刺されてもなお動いていたのです。私はそれを見て、表面では「すごいね! 上手にできたね!」と写真を撮りながらも、心の中では、やはり可哀想だという気持ちを消すことができませんでした。でも、同時に、今、私たちは、自らが相手の命をもらって食べるという行為をしている。だけど、普段は殺す部分だけを誰かにやってもらい、いかにも自分は他の生き物を手になどかけていませんよ……という顔をしているだけだと分かっていたのです。 だから、「お魚さん、さーちゃんに食べてもらいたかったんだよ」なんて簡単な言葉ではすませることはできませんでした。 観念的な言葉を連ねても、3歳のさーちゃんが分かることはないでしょう。 一瞬悩んだ後、私はこう言いました。「さーちゃん、あのね、お魚さんの命を頂いたんだよ。私たちは、みんな、いつもこうやって誰かの命を頂いて生きているんだよ。だから、しっかり頑張って生きないといけないね」 この応え方が正しいかどうかは分かりません。 というより、さーちゃんの言葉にはっきりと答えていません。 でも、「天国には行きたくなかったよ」とは言えませんでした。本来なら「お魚さんは天国には行きたくなかったけど、私たちは誰かの命をもらって食べなくては生きていけない。だから、お魚さんの命をもらったんだよ。だから、感謝して頂いて、しっかり頑張って生きていかないといけないね」と答えるべきなのかもしれません。 だけど、最初の「天国には行きたくなかったけど」を3歳の娘に、私は言うことができなかったんです。それを抜かして、後の部分だけを伝えました。 さーちゃんは、分かったのか分からなかったのか……、多分、私の言ったことのすべては、とてもまだ理解できていないのではないかと思います。それでもママの真剣な気持ちは伝わったような気がします。 中途半端にはなってしまいましたが、それでも、パパのように、「普段は気にせず食べているけど(パパは肉好き野菜嫌い)、こうやって実際に見ると、肉も魚も食べられないって思うんだ」というような姿勢でいて、それを子どもに伝えるよりは良いんじゃないかなぁと思うんです。 大人なら、パパのような考え方でも済んでしまうかも知れません。実際に、そういう人がほとんどですよね。でも、スポンジのように親の言葉・考え方・価値観をどんどん吸収していく子どもに対しては、それではいけないと思うんです。 だって、パパはその場では「肉も魚も食べられないと思う」と言いながらも、結局はお肉が大好きで、誰かの命を頂いて生きているという事実には目をつぶっているんですよね。こういう生き方は疲れます。自分をごまかしていることになるので、本当に心が疲れるんです。そんな疲れる生き方を子どもにさせたくありません。 だから、嫌なことに目をつぶって、自分をごまかして生きる代わりに、子どもには、命の大切さを教えるとともに、自分たちは誰かの命を頂いて生きているのだと教えたい。そして、誰かの命を頂くことに対する感謝の気持ちを教えたい。 誰もが普段は気軽に使う「いただきます」「ごちそうさま」の言葉の中にも、よく言われる「残さずに食べなさい」「好き嫌いしないでね」の言葉の中にも、本当はもっともっと深い意味があるんだよ……と教えていきたい。 そう思います。