2012/01/16(月)21:53
米国版・「臨床心理士はつらいよ」 前編 ~So You Want a PhD in Clinical Psychology?
前々回に画像だけ掲載したバーバラ・エーレンライク著「ポジティブ病の国・アメリカ」。
その原著である"Bright-Sided"を,今日読了しました。...というか、オーディオブック版で聴き終えたところです。
(まず耳から入れて、その後、目で活字を追っかける。これがどうも自分にとっては非常に効率の良い方法であることがわかってきました。中身が頭に入ります!)
Bright-Sided: How the Relentless Promotion of Positive Thinking Has Undermined America
著者:Barbara Ehrenreich
価格:4,066円(税込、送料込)
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可愛らしいのは表紙だけ。中身は激辛も激辛、そしてほろ苦くもあります。
2001年の9.11同時多発テロ、そして2008年のリーマンショックによる不況下で「ポジティブ教」に救いを求めるアメリカ国民の姿、そしてその「ポジティブ教」の源流について、とても興味深い分析がなされています。これは読んで(聴いて)大正解、の一冊でした。詳しくはまた日を改めてご紹介しますね。
年末に「エイブラハム&ヒックス」という幻惑の森から無事に抜け出すことができて、以来、精神世界モノへの興味は急速に薄れています。
いや~、「本物路線」と「売れ線」との両立って、きわめて難しいみたいですね。少なくとも、商業主義大国アメリカにおいては。いや、日本でもやっぱり事情は同じかな。
とにかく、そうした「金・金・金。それと、名声。」が真の目的であるニューエイジ商法にはとことん愛想が尽きたためか、
芸術であるとか、物作りであるとか、スポーツとか、学術研究であるとか、とにかくどんな分野でも
【一つの道にひたすら精進する】
といった生き方を選んだ人々に対して、以前にも増して深い尊敬の念を抱くようになりました。
精進。
努力。
真実一路。
直球勝負。
けち臭い小細工も、ズルも、一切無し。
自分自身が選んだ領域において、より優れた物を作りたいから頑張る。
昨日の自分よりも、今日は更に高いレベルに到達したいから、
そのために努力し続ける。
...人として生を受けたからには、かくありたいものだ、という姿勢を、お仕事の場でも、私生活でも、変わることなく淡々と実践している。
つまり、公の顔と私の顔との間で少しもブレが無い。
そういう人こそが「本物」の名に値するのだなぁ、って、ようやく気付きました。今更ながらで照れ臭いのですけど。人から注目されるとか、されないとか、そんなことはどーでも良いこと。誰一人見ている人がいなくたって、「本物」は「本物」。
拍手喝采する人も、サクラも一切無用なのです。
「神様だけが知っている」...それで充分満ち足りた気持ちでいられたら、それは「本物」に一歩近づいているという証拠なのかもしれません。
どうせ学ぶならば、「本物」の言葉や生き方から学ばなくっちゃ、ですね。
時間が勿体無いですもん。少年老い易く学成り難し!(あ、既に中年なんですけど...。)
さて、前置きはこれくらいにして。
随分と長い事「心理の専門家になりたい」と悶々としていた仏文科出身(=ハナっから畑違い。)、しかも数学ダメ~で統計学アレルギー!の純粋文系右脳人間にとって、
「臨床心理士」(英:Clinical Psychologist)
というのは憧れの資格であります。
しかも、Ph.D(博士)の肩書まで加わるとあっちゃぁ、そりゃ~、もう取れれば最高っ!でしょうね。
今から近所の大学の学部3年生にでも編入して、子供が中学生になる頃に大学院に進んでいけば、ゆくゆくは私だって...
...な~んて、一体、どこまでおめでたいんだよっ、自分っ!
ってな感じで、心理学好きの夢見る夢子が抱きそうな、甘ったるい願望を木っ端微塵に打ち砕いてくれるような、そんな超・強力な動画をYouTube上で発見しました。
これ、アメリカで現役の臨床心理士(Ph.D in Clinical Psychology)として働いている人がこしらえたそうです。再生回数を見る限り、かなり受けてますね~。
あまりにも真実過ぎて残酷~、ということで、現在心理学の大学院に通っているという学生さんたちの間では「大爆笑した」の声もある一方で、「うっかり見てしまい、激しく落ち込んでいる」という声もさかんに上がっているらしいです。(←コメント欄より。)
何とか聞き取って翻訳してみましたので、お楽しみください。(違うんじゃないの~?って部分がありましたら、遠慮無く教えてください。メールででも何でも。)先生のセリフは緑色です。長いので、前・後編に分けますね。
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先生、こんにちは。今日は進路についてご相談したいと思って、来ました。私、先生みたいに臨床心理学の博士号を取りたいんです。
どうして臨床心理学の博士号が取りたいと思ったの?
友達から、「人にアドバイスするのがすごく上手だね」と言われたし、それに、誰かが間違ったことをしていたら、その人が気付くための手助けをしたいんです。
別に、臨床心理学の博士号を取らなくたって、人にアドバイスすることは
できるし、「あなたのそれ、間違っている」と言うことはできるでしょ。
博士号が欲しいんです。人から「ドクター(博士)」と呼ばれるのって、かっこいいじゃないですか。
誰があなたに向かって「ドクター(博士)」って言うの?
患者さんです。
患者さんは、あなたのことをファーストネームで呼ぶし、そもそも、
あなたが博士号を持っているかどうかなんて知らないわよ。
それに、薬を処方することができないのに「ドクター」と呼ばせる
だなんて、患者さんにとってはややこしくなるだけです。
じゃぁ、友達は私のこと「ドクター」って呼んでくれるかな。
友達に「ドクターって呼んで」なんて頼んだら、あなたそれこそ
みんなの笑い者よ。
家族は誇りに思ってくれるんじゃないかしら。私のことを「ドクター」って呼べて。
お母さんは泣きながら、「なんで本物のドクター(医者)になって
くれなかったのよ」って逆に詰め寄るでしょうね。
私、自分に誇りを持てるようになりたくって。
「ドクター」って名乗れるようになれば、自信がつくと思うのです。
自分に誇りを持ちたくて博士号を目指すんだったら、心理療法の
専門家に診てもらう方がいいでしょう。自尊心が低い、ということだから。
大学院へ行くよりも、心理療法の方が安上がりだし。
臨床心理の専門家になって独立開業すれば、お金だっていっぱい稼げると思うのですが。修士号しか持っていないセラピストと比べたら、博士号セラピストの方が儲かるのでしょう。
~以下、後編へ続く~