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最近、本当に不思議な思いをする。
無意識の世界であれほど、自分自身を縛り上げていたものが、どんどん取れていく。 人に対する時、意識の上で「怖い」「分からないけど怖い」という感情で自分を苦しめたものが。 原因を遡っても、中学校時代の友人関係が思い出されるだけだった。 だから、ずっとそこを問題視して、 でも、いくらそこをほじくってもなかなか最後の一手が改善しなかった。 それが、面白いようにスルスルと分解されている。 「みんなに好かれていなければいけない」という無意識の思い込み。 「自信がない」「絶対に嫌わないで欲しい」「孤独にしないで欲しい見捨てないで欲しい」 「嫌われないために顔色を伺わねばならない」 「でも、これらを他人に悟られてはならない」 「完璧で無いと、自分が自分を好きでいられない」「自分が嫌い」 …トラウマを解消して克服どころの騒ぎじゃなくて、人としての未熟から来た対人恐怖症だった。 魂の病だ。自分が生まれ変わらなくては、克服できなかった病だったんだ。 ずっと、友達のせいにして恨んでいた。でも、逆に恨まれてみて初めて気が付くことができた。 それに気が付いたら、誰かを恨みたくても恨めなくなっていた。 「他人に転嫁された自分への憎しみ」にどっぷり浸かって、全く客観視できいなかったのに、 それが出来ていることが、奇跡に近い。 それから、怪我の功名で、今まで知りえなかった自分にも会えた。 「欲張り」「純粋すぎ」「特別意識が強すぎ」 自分が無いから、欲張ることで穴を埋めようとする。 欲張るから、自分が持っているものが見えなくなっていく。 純粋だから、欲望も純粋。 誤った方向に進んで、自分が不幸に向かっているのをどこかで分かっていて、 認めたくないから、「特別意識」を発動させて、惨めさをカバーしようとする。 目で闇を見ていようが、惑っていようが、はしゃいでいようが、眠っていようが、 自分は自分で、そもそも、自分の気分と自分は全く違うものなのに、誤解していて 同一だと思って、勝手に落ち込んで、自分を嫌いになっていたり。 自分の肉体も精神も自分以外の誰かがこの世に放り出したもので、 他の人についても同じなのに、 それを、自分が「所有したい」「コントロールしてやる」という滑稽な努力を重ねていた。 他人も、他人のパーソナリティも、他人の感情も、 自分自身も、自分の気持ちも、みんな与えられたもので、 自分ができるのは「運用」だけなのに、 見たくない、ありえない、あってはならない、好きじゃない、という おかしな努力を。 でも、よく見ると、私もそうで、みんなもそうだった。 だから、自分が見たくない嫌いな感情を封じたり閉じ込める必要はなくて、 「私は持っている」と言えばいいだけのことだった。 まだ、最後の部分は下手なんだけど、 なぜか、そのうち出来ると確信してる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.07 21:55:34
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