2006/12/07(木)21:55
全てにありがとう。
最近、本当に不思議な思いをする。
無意識の世界であれほど、自分自身を縛り上げていたものが、どんどん取れていく。
人に対する時、意識の上で「怖い」「分からないけど怖い」という感情で自分を苦しめたものが。
原因を遡っても、中学校時代の友人関係が思い出されるだけだった。
だから、ずっとそこを問題視して、
でも、いくらそこをほじくってもなかなか最後の一手が改善しなかった。
それが、面白いようにスルスルと分解されている。
「みんなに好かれていなければいけない」という無意識の思い込み。
「自信がない」「絶対に嫌わないで欲しい」「孤独にしないで欲しい見捨てないで欲しい」
「嫌われないために顔色を伺わねばならない」
「でも、これらを他人に悟られてはならない」
「完璧で無いと、自分が自分を好きでいられない」「自分が嫌い」
…トラウマを解消して克服どころの騒ぎじゃなくて、人としての未熟から来た対人恐怖症だった。
魂の病だ。自分が生まれ変わらなくては、克服できなかった病だったんだ。
ずっと、友達のせいにして恨んでいた。でも、逆に恨まれてみて初めて気が付くことができた。
それに気が付いたら、誰かを恨みたくても恨めなくなっていた。
「他人に転嫁された自分への憎しみ」にどっぷり浸かって、全く客観視できいなかったのに、
それが出来ていることが、奇跡に近い。
それから、怪我の功名で、今まで知りえなかった自分にも会えた。
「欲張り」「純粋すぎ」「特別意識が強すぎ」
自分が無いから、欲張ることで穴を埋めようとする。
欲張るから、自分が持っているものが見えなくなっていく。
純粋だから、欲望も純粋。
誤った方向に進んで、自分が不幸に向かっているのをどこかで分かっていて、
認めたくないから、「特別意識」を発動させて、惨めさをカバーしようとする。
目で闇を見ていようが、惑っていようが、はしゃいでいようが、眠っていようが、
自分は自分で、そもそも、自分の気分と自分は全く違うものなのに、誤解していて
同一だと思って、勝手に落ち込んで、自分を嫌いになっていたり。
自分の肉体も精神も自分以外の誰かがこの世に放り出したもので、
他の人についても同じなのに、
それを、自分が「所有したい」「コントロールしてやる」という滑稽な努力を重ねていた。
他人も、他人のパーソナリティも、他人の感情も、
自分自身も、自分の気持ちも、みんな与えられたもので、
自分ができるのは「運用」だけなのに、
見たくない、ありえない、あってはならない、好きじゃない、という
おかしな努力を。
でも、よく見ると、私もそうで、みんなもそうだった。
だから、自分が見たくない嫌いな感情を封じたり閉じ込める必要はなくて、
「私は持っている」と言えばいいだけのことだった。
まだ、最後の部分は下手なんだけど、
なぜか、そのうち出来ると確信してる。