PARIS (2)

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PARIS

バトードムーシュ
La Seine (c) T.F.

今まで、かなりの回数、パリには行っているけれど、
今でも忘れられないのは、大学の夏の1学期をパリの学校で過ごした時のこと。

その夏の間、私は学校が準備したサンジェルマン・デ・プレにある、小さなホテルに暮らしていた。朝、7時に起床し、1階にあるカフェテリアで焼き立てのクロワッサンとカフェオレで目を覚ます。
そこから機材や印画紙を抱えてメトロに乗り、学校へと向かう。
クラスは9時から始まり、たいてい午前中の講議が終わると、近所のパン屋でサンドイッチを買う。

“バゲット”と呼ばれるフランスパンに、ジャンボン(ハム)とフロマージュ(チーズ)という、いたってシンプルなサンドイッチを持って、近くのエッフェル塔前の公園まで行き、ベンチに座ってランチを食べる。私はそのルーティーンの虜になっていた。

午後はほとんど課題のための撮影にでかけた。
だけど、時々、ウィンドーに飾られたきれいな靴やカバンに気持ちが行くこともあった。
私は日によって、35ミリのニコンか、中版のハッセルを下げて出かけていたのだけれど、
ニコンを持って出ると、ファインダーを覗きながら歩くのが癖になった。
特に24ミリのレンズを付けて覗いていると、やたらと楽しかった。
時にはファインダーを覗いてヘラヘラ薄笑いを浮かべながら歩いていたので、
スレ違う人達は異様に思ったに違いない。

 

   

信号
(c) T.F.

夏の夜は遅く来る。
10時まで暗室で現像とプリントを続け、外にでるとまだ明るかったりする。
レストランで食事を終えてホテルまで歩いて帰るのは、たいてい深夜12時を回っていた。
それなのに、サンジェルマン大通りにさしかかると、カフェ・フロールの前で足が止まる。
暑くもなく、寒くもなく、撮影もし、プリントも終え、
これでカフェオレを飲まずして帰れるものか、
そういう気分になるのは仕方がない。それが、ほぼ毎日のことだった。

 

今でもその夏を思うと、冒頭のヘミングウェイの手紙の一節が浮ぶ。 

11月。

写真展出品のためにドイツへ向かう途中、数日、再びパリに寄ることになった。
その時のパリは地獄のように寒く、私はほとんどシャッターを押すことがなかった。

どうして冬のパリはあんなに寒いのだろうと、
寒さでは引けを取らないニューヨークに住みながら、
不可解でしょうがなかった。

パリの夜
(c)1999 T.F.

  

この夜景は、99年秋に発売になったToots Thielmans et Fumio Karashima の、
CD "Rencontre"(ポリドール)の中ジャケットに使った写真の別ヴァージョン。
個人的にはこちらのほうが好きだけれど、アルバムにはあっちのほうがいいと思って使った。

 

 

 

 

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