Clapton (2)By Tomoko F. (c)
はじめに ERIC
CLAPTONに関しては、語りたいことが沢山ある。 * 私はクラプトンに限らず、どんなファンクラブにも参加したことがない。 *
もし、幸運にもあなたが、“タイム・マシーン”と“どこでもドア”を同時に手にすることができたなら、1999年6月30日のニューヨークに行かれることをお勧めしたい。何故なら、そこには、素晴らしく、且つ、特別な夜があり、そこに居なければ感じられない空気があるからだ。 ニューヨークタイムズ紙は、いかにも刷り立てでございますと言わんばかりに、黒グロとしたインクが手や衣服を汚すことでも有名である。折しも5月の最初の日曜日。その知らせは分厚いサンデータイムズの見開き全面を使って届けられた。“Eric
Clapton & Friends, June 30 7:30pm. ON SALE MONDAY
9AM!”そして、右側のページには大きな文字だけが、黒をバックに浮かんでいた。“
It's the biggest New Year's Eve of your
life...”。 その紙面を暫く眺めたあと、私は久しぶりにデレク&ザ・ドミノスの「Layla」をかけて聞いた。そして、今度こそ、本来の姿である、オリジナルの「Layla」が聞けますようにと、祈るような気持ちでいた。その時点ではまだ、「Layla」よりもスゴイものが待ち受けているとは、予想だにしていなかった。 『Unplugged』の爆発的ヒットを機にクラプトンファンになられた方々には理解されないかも知れないけれど、多くのオールドファンにとって、「Layla」はやはり、悲鳴のようなフレーズで始まる「Layla」こそが正しい「Layla」なのである。 この会報を手にされる多くの方は、すでに6月30日のMSGの、その大変に「特別」なコンサートの内容をご存じかも知れない。多くの機関を通じて、“歴史的”であり、“今世紀最後(?)”であり、“後世に語り継がれるであろう”コンサートの模様は伝えられたからだ。 私は、冒頭に挙げたふたつの物を使わずとも、その日、タクシーと徒歩で、MSGへ向かうことが出来た幸運な人々のひとりであった。自宅のドアを閉めてから、約20分後には、MSG前の大渋滞に巻き込まれていた。タクシーの運転手が唯ならぬ渋滞に「今日は何だ?」と聞くので「コンサート。クラプトンのね」と私は得意げに答えた。「え?なんだって?そいつは凄い!」という反応を期待していたが、運転手は簡単にお客を拾えるように、コンサートの終了時間を逆算してるだけだった。 実は以前、クラプトンのコンサートの帰りに乗ったタクシーの運転手が、「今日は何だったんだい?」と聞くので「クラプトンのコンサートだった」と答えた。すると嬉しそうに「クラプトンは素晴らしい。オレはクリームのさよならコンサートの時、見に行ったよ」と言うではないか。それはあたかも、タイタニック号が沈む時、そこにいたんだ、というのと同じくらい、歴史的なことに感じられたのだ。 まあ、それはいいとして、NYの通常のコンサートはたいてい8時に始まることになっている。余程、テレビやラジオの同時中継でもない限り、定刻に始まることはない。それが、この日は7時半だという。これだけでも、何やら「特別」な雰囲気が事前に感じられた。私がMSGに入ったのは7時40分を過ぎていたが、会場はまだ明るかったし、私より遅れてやってくる人もかなりいた。いつもなら、パンフレットの売店があちこちに開いているのに、その日のコンサートでは、地味なTシャツとパーカーだけが売られていた。それも大変に「特別」な感じがした。今までに、幾つもの、そういう「特別」な夜の舞台になってきたMSGの、その中のほんの一つのコンサートであるにもかかわらず。 私にとってMSGというのは、自由の女神と言えばニューヨーク、と言うのと同じように、バングラデッシュ・コンサートを思い出させる場所だ。そのコンサートの記録映画に若き日のクラプトンが登場しているが、私がそのフィルムを見たのは、リバイバル映画としてだったし、後にそのフィルムの中の会場に、クラプトンやディランをタクシーに乗って見にくることになろうとは、当時はとても考えられなかった。それで、MSGに来る度に、私はある独特の郷愁を感じてしまうのだった。 さて、席につき、周りの人達と軽い会話を楽しんでいると、会場のライトが一斉に落とされ、巨大スクリーンに映し出されるクラプトンの今回のクロスロードセンターへのベネフィットに関するメッセージと共に、3時間に及ぶコンサートの幕は開いた。スクリーンに、コンサートの6日前に落札されたブラウニーのオークション場面が出て来ると、拍手は更に強くなった。そうして、黒のスーツ姿のエリック・クラプトンがステージに現れ、会場に「My
Father's
Eyes」が響き始めた。そういうふうに、コンサートは始まった。 今、回想してみると、あの夜のコンサートにはある種のヴァイブレーションが終始漂っていたような気がする。それが最大になったのは、やはり、実に四半世紀ぶりに演奏された“古典”とも呼ぶべき「
Little Wing
」の間と、そして、ストラトキャスターから「Layla」の頭が流れ出した瞬間だったと強く記憶している。 個人的な嗜好から言えば、「Layla」は私にとって、クラプトンのベスト3には入らない曲だった。それが、アコースティックで演奏されてからと言うもの、皮肉な程、このオリジナル、つまりアコースティックではない「Layla」が愛おしく、禁断症状を感じるのだった。まるで、失って初めてわかる存在の大きさのように。「Little
Wing」ほど久しぶりだった訳ではないけれど、あの日のコンサートを一層特別なものにした理由の一つに入ることは確かだ。 コンサートの間中、クラプトンは何度も、何度も笑みを浮かべていた。共演者のFriendsもまた、同じように微笑み合いながら歌い、そして演奏していた。私は今まであれ程笑うクラプトンをステージで見たことがなかったので、見ているだけで伝わってくるような、幸せな気持ちになった。 「Little
Wing」は会場に来た全員をビックリ仰天させるに充分だった。なにしろある時を境に、タブロイド紙のゴシップ記事にも流行の音楽にも余り興味がなくなってしまった私には、シェリル・クロウの歌も2曲で退屈になった。そんな時、あの、あの曲が始まったのだから、さあ大変。眠りかけていたコンサートの興奮が一発で目を覚ました。テンポもまずデレク&ザ・ドミノスの「Little
Wing」と同じだったし、シェリル・クロウとのハーモニーも見事だった。そしてゲストの一番最初に登場したデヴィッド・サンボーンがクラプトンのギターと重なるように、緊迫した素晴らしい演奏を聞かせてくれた。とても座っていられようかと、その演奏に皆が立ち上がり、そして酔いしれた。 ただ、「Little Wing
」の後に登場したメアリー・
J・ブライジについては、彼女に関する予備知識がなかった為に、急にとんでもないコンサートに瞬間移動してしまったような錯覚に陥った。ファンの方には申し訳ないが、かなり中休み的な気分になって退屈した。おまけに彼女が余りに沢山歌ったので、まるでお客が3杯目のご飯を平気でお代りしているのを見ているような気になった。もし、クラプトンが後ろでギターを弾いていなかったら、私はその時間を利用して、ホットドッグを買いに走っていたかも知れない。 やっと、彼女の長い長い歌が終わり、再びクラプトンのコンサートになった。そして、さて、もう一つ驚かせましょうか、といった表情をしてから、クラプトンはあの、懐かしい「Layla」のイントロを弾き始めた。ギターからだけでなく、会場からも悲鳴に近いどよめきが起こり、ネイザン・イーストが一瞬、ステージで跳ねるほどだった。 最後に登場したFriendはボブ・ディランだった。ふたりで1本のマイクをはさみ、目配せをしながら歌う「Crossroads」は微笑ましくもあり、ちょっと可笑しくもあった。なぜなら、クラプトンとディランがハモることに若干ムリがあったし、それなのにとても幸せそうな目線をディランに送り続けるクラプトンがそこにいたからだ。ディランと数曲やってから、コンサートは終わり、アンコールを待つだけとなった。 アンコールの1曲目は「Sunshine of
Your
Love」。そして、最後はFriends全員参加(メアリー・J・ブライジを除く)で「Bright
Lights, Big
City」が盛大に演奏され、ステージの上も、客席も、至福の時を過ごしたという満足感に包まれたまま、コンサートの幕は閉じ、MSGの会場に再び明かりが点された。 いつか6月30日のMSGは記憶の中の出来事のひとつに変化するだろう。今までの、多くの素晴らしい出来事や、悲惨な出来事と同じように。でも記憶を辿っていく時、きっとこころの中のタイムマシーンが動き始め、その時のその場所へ戻ることができるだろう。そうして、また現在へと意識が戻るに連れ、その時の感動は段々と遠く、小さくなっていく。しかし、いつしか小さな点となったその記憶は、離れれば離れるほど、眩しい輝きを増してゆくのである。そんなふうに思わせるだけの力を持つ、特別なコンサートだった。 All Rights Reseved
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