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漫画家・写真家玉地俊雄 紫煙のゆらぎ

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2008.04.20
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カテゴリ:紫煙のゆらぎ







             錦秋の穂高涸沢の池に映る逆さ涸沢岳







               紫煙のゆらぎ・みてるんです













僕は漫画家である。
写真と写心もやる。

大学生の遠い昔、アルバイトして貯めた金で運転免許を取りたかった。

「免許取るなら親子の縁を切る」と母親がのたまわくわれました。

しぃ~かたがないのでにぃこんをかぁったさっきのおかねはいったいなぁに?

近所の写真屋の親父が粋で大酒のみで意地悪な人でトテモ尾も白い人だった。

重症糖尿の昇進試験を受けない警官や逮捕権を持った新幹線の専務車掌や
天婦羅やの主人とか保母のなりそこ間違いとか、
弁経の異名を持つ印刷屋の800mm の望遠レンズに
フランスの砲台製造会社製・ジィッツオ 12Kg 三脚を両肩に掛け、
競馬場の第4コーナへと向かう人。

店の前で冬はうどんスキ、夏はそうめん、通る人にもいらんかねと呼びかけるのだが、
皆が嫌な顔をして素通りする。

店の前で不慮の少女があり、家族の了解を得、京都の壬生寺から地蔵尊を持ち込み、
僕が建設用ブロックとコンクリートで台座を設計して、みんなで本気になって作った、
あえて北へ向かわせて建立させたこの違法建造物は、
今は立派に改修されて町内会が毎年地蔵盆の行事に使い、賽銭箱までくっついている。

35mm 版の NIKON F2 の次に、10cm x 12cm のフィルムを使用する、
蛇腹カメラ・通称4の5を買い、東京神田に尾も白い長谷川製作所という指物師おると、
くだんの親父から聞けばふらふらと探しゆき、
3年寝かせた桜の合板で作った 10cm x 12cm の為のフィルムホルダァーを
見てびっくり触って感動。

ォ ジナァ P あなたのおくにはどこわたしのおくにはすぃっらんどよ。

この精密測量機器のような右手いっぽんで4の5というカメラの全てを操作できる、
全く狂いの一髪も無い約70万ほどした鉄の塊に別れを告げてしまった。


折りたためば木製の写真箱君である。 \ 56.000 だったと記憶する。

次にこの写真箱君の4倍・バイテンと呼ばれる 8 x 10 、
20cm x 25cm の写真箱様を発注した。値段は \ 128.000 だった。

「伯父さん米国のディアドルフ知ってるでしょ」

もう中古市場でしか求められない、マホガニィーの木製超大型写真箱さまは、
約30万円ほどの価格が付いている。

アンセル・アダムスという写真家が白黒で凄い描写力の作品を残している。

「知っておる」
「4の5の写真箱君の4倍の大きさが……安売りだとおもわない?」

「大きいほうが作りやすい」

歌舞伎の女形のように端整で色の白い尾も白い老人だった。
そして、僕の写真の楽しみの間皆が素敵なナマカたちだった。




くだんのバイテンで錦秋の穂高涸沢の涸沢の池に映る逆さ涸沢岳を、
三脚を立てて、1人しか撮影できない場所に、風が止まり、
揺れのあまりないカットを撮影するため、悪鬼のような形相でそのチャンスを待っていた。

しかし、風はおさまる気配すら全く見せず実は僕の悪態を笑っていたのだろう。

その水溜りの巨岩の右奥からしきりに飛んでくるガンの気配がする。

水面のゆらぎに半ば諦めの気分が、精神と体に休めと命じたとき小柄な爺さんと、
ボッロボロに使い込まれた4の5・リンホフテヒニカ、
カメラのロールスロイスと崇められる鉄のかたまりが、ガンを飛ばしていた。

ちなみに、ハッセルブラドはベンツに例えられる。

10M以上離れていてもカメラ武者同士、
一瞬で力量と近づくべからざる間合いを保っている。

レンズはフジナーの 150mm.f 6.3 SEIKO 社のシャッタァーと見た、
爺さんよっぽど好きもんで曲者やなぁ。

こちらはハセミのバイテン彼の4倍のフィルム。

現像料とフィルム代金で合計、1シャッタァー \ 2.500 。
レンズは定番ジンマーS 300mm 。

こいつ馬鹿ぢゃなかろか。と向うは感じているはずだ。

この爺さんを視野から外してさらに5分。水面を見続けたが、
いまだその殺気の衰えの無い気配と、
ピリピリとしたガン飛ばしに根負けしてしまって、急速に意欲が萎えてしまった。

1枚は撮ったからええとするか。

「おっちゃん 1枚は撮ったから代わったげよか」
「ぢゃぁ 行かせてもらいましょうか」

ゆっくりと慎重に近づく彼は白髪の60代。
三脚はくだんの砲台ジィッツォの中型でこいつもガチャボロに使い込んでいた。
重量は8Kg だろう。

リュックに適当に機材とバイテンの写真箱を仕舞いながら、
彼のシャッター音と間隔にビックリして振り返った。

立ち位置からパック式の4の5フィルムを次から次へと
1 / 60 Sec 程でバシャバシャやっていた。

あれは1シャッタァー \ 800 する。お互い露出計は使っていないようだ。

僕はしゃがみ位置で逆八の字アオリを掛け水面全体にだけピントを合わせて、
ぎっちり絞込み、F 32 を超えて、水面は見た目より遥かに暗いと感じ、
1 / 8 Sec程で撮影していた。

立ち位置で、フィルムを上に抜いているからには、明るく輝く涸沢岳に主題を置き、
逆さ涸沢岳を暗く映しこみ、そのコントラストを狙っているのか、
それとも適当なのか、ひょっとして僕の露出が彼の感覚とどう違うのか。

「露出どのくらいで撮ってはるの」

夜明け直後の斜光は赤くて昼間のクォータァー。
多分1 / 60 なら f値は8 or 11?

「露出 は まあいろいろです」

せっかく一人分しかない場所を代わってあげたのに愛想の良くない爺さんやな。

3分で友達タイプぢゃ無いと判断したが、
その代わったげた代わりにもう一言のイジワルオセツカイを。

「おじさん もうちょっと下げはったほうがパース出まっせ」

僕をギロリと睨み、もくもくと三脚とリンホフを下げ始めたのを後に、
あまりお友達になりたくないタイプの彼の場所からスタコラとバイナラした。

涸沢ヒュツテの石組みされた屋根の上から、
カン照りで観光用にしか使えない1ショットを2カット撮影してこの日はおしまい。

「錦秋の穂高涸沢」と題され 700mm x 550mm で額装されたこの作品には、
「で記念撮影をする3人」という副題も付いている。

後日このカットを最後に写真を止め、バイテンと才能の限界を痛撃的に自覚させられ、
4年ほどレンズもカメラもしまい込む事となる。

恐怖の威圧、好奇心と馬鹿にした目から解き放たれる為にバイテンをリュックにしまい込み、半露天ぼろぼろヒュッテの超高級価格涸沢コフィ~を \ 450 も出して飲んでると、
35mm セットその他大勢もろもろ、山ほど抱えた連中が蠅のようにたかって騒ぎ始める。

「今年の涸沢は良かった」
「白旗史朗先生にも会えたし」
「えぇ 誰? それ」

僕はウサン臭そうな口ぶりで彼らに聞きかえした。
彼らが指差すヒュッテ本館の平らになった約50cm幅の屋根の上の道に立つ白髪の爺さん。
ついさっき、グゥ~チャラと指導してやった愛想の良くないおっさんが一人立っておった。


しまった。白旗史朗と解かっておれば絶対席を譲ってやるなんて馬鹿な事はしなかったのに!

彼は僕のバイテンを見て軽蔑したはずだ。銭儲けの為に影武者が何百枚も撮影し、
頃合を良しとした時、彼は空身でやって来る。

適当に取り巻くって影武者たちの膨大な4の5のフィルムとシャッフルし、
適当にピックアップしてクライアントに自分の作品として渡す。

4の5である必要すら無い。

素人がディアドルフで無く、ハセミの8 x10 を構えて何を遊んどるんだ。
言葉と動きの端々にその軽蔑感が今にしてふつふつと思い起こされた。

しつかしぃ、僕は、悪いがあんたの印刷物には感動したことは無い。

ある素人が夜明け前のエベレストとローッェを、
標高 5600M のカラパッタァールの山頂からバイテンで撮影した、
ほんの 20cm角の小さな印刷物が見せた色と質感が僕を今駆り立てているのだ。

その素人の気迫と体力に脱帽するが、
あんたに席を譲った事が阿呆らしくて悔しくて腹が立つ。

「穂高錦秋の涸沢で記念撮影をする3人」は巨大フィルムの威力で映り込みが物凄い。

拡大すればするほど岩稜に取り付く人や道標、記念撮影をする3人が、
ちょうど僕がシャッタァーレリーズをプッシュした瞬間、
約1Km 向うでシャッタァーを押していたのまで映っていたのだ。

しかし作品化には苦難が待つ。

フジカラーサービスの課長が僕のところまでやって来た。

最初の1枚は、あんたの会社はどういう感覚でプリントしたのと、
びっくりするほどヒドイモノだった。是は何故か残してある。

5cm x 50cm ほどのテストプリントを買い、
濃度と色調整を指示し再度テストプリントを買い、
また指示を出すという作業をしたにも係わらず何だこれわっ。

次の2枚目も僕に言わせると勘違いの産物だった。
買取りましたよ。破って捨てましたがね。

3枚目は課長と共にやって来た。思い切ってシアンを加え、イエローは抜く。
マゼンタと濃度をぎちぎちまで足し込めばもっと良くなるはずだと僕は言った。

「もうこれで勘弁してください 代金はけっこうです」
「僕は乞食ぢゃない 無礼な事を言うな」

4の5は写真用ランプ1個でプリントできるが、
バイテンは4つのランプを使用して、しかも、
大きいプリントは壁に貼り付けて慎重に制作しなければなりません。

フィルムのゴミとの闘いにも大変なのです。

そんな設備だったのか。
  毎 蒙 天 一 笑

天の作りしたまものを再現しよう等と、天に向かってツバするような事。

既存の印刷物や流言飛語に惑わされ、それらのコピィーと絶対具象にこだわった馬鹿様は、
偶然の、入江泰吉先生のたった一言と、
バリ島 UBUD の白拍子達によって救われるまで、
4年以上の、才能と表現力の限界、驕りに対しての反省、
そして脱力感による休止を余儀なくされた。

偶然は見方を変えれは必然であり、いわゆる神の啓示かもしれない。


NIKON をぶら下げて奈良東大寺の境内を午後の斜光の中、
あてもなく彷徨う僕の前を、
白髪で長髪の細身の老人が手ぶらでゆっくぅ~りと歩を進めていた。
入江泰吉翁では?

そっと、それとなく近寄っていくと気配ぎりぎりで近づけない。

彼は気配に気づいているだろうがおくびにも出さず、
うす赤い斜光の中を二月堂とは違う方向へと、
音と、匂いと、静けさを楽しみながら仙人然とした歩調で歩く。

枯れ葉を踏むかすかな音が静寂の中で境界線を保ち2人は歩き続ける。

彼の東大寺二月堂修二会の写真に驚き
バイテンに 300mm や 120mm までくっ付けて撮影に熱中した時期があった。

  ほむらの回廊

あの気迫がどこに秘められたのか、その気配のカケラすら匂わないこの老人に思い切って、
しかし静かに近寄って言った。

入江泰吉先生だった。


      「なにをなさっているのですか」
      「みているんです」


こんな感動は人生の中ではめったに無い。

迷っていた僕の心の深遠にゆっくりと静かに、
しかし確実に沈みこんで、写真を止めなさいとの、仏の実の声を先生の言葉で聴いた。

僕はそこで歩を止め、遠ざかる翁に

      「ありがとうございました」

と手を合わせた。

みているんです。
みることのむこうにみえるものがあなたにみえるまでみつづけなさい。

僕の驕りと自負心と観念を真底からひっくり返したひとことであった。
奈良高畑の翁の写真館は観れば見るほど仏が観えて来る

約4年近くの時を経て、僕はバリ島 UBUD の白拍子たちに化身した、
シィーヴァが定めた運命の啓示によって、
やがて訪れる抽象の片鱗を垣間見れる事に気付き、救われ始めたのだった。














社団法人日本漫画家協会会員・参与
                           玉地 俊雄

You tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English )
http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/







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最終更新日  2009.08.06 15:49:19



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