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漫画家・写真家玉地俊雄 紫煙のゆらぎ

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2008.04.20
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カテゴリ:紫煙のゆらぎ






                紫煙のゆらぎ・世界漫画博






やなせたかし先生が僕に謝罪した。びっくりした。

「すまない。僕の一言でみんなに迷惑掛けてしまった」



自称関西漫画界の事務局長北星晃平さんは、
漫画家協会の総会で当時の理事長加藤芳郎さんを激怒させてしまった。

「彼が事務局の斥候として動いてくれています」

「理事会決議が無いまま君たちは何を先走っているのだ。決議を待たずに勝手
 に動くとはどういう事なんだ」

「いや、あくまで情報収集とか、まあホントに単なる斥候というか」

話はしどろもどろでまったくかみ合わない。

「理事会を無視してなんだ君は、除名するぞ」

「まあ、理事長ここはひとつおだやかに」

北星さんの宿敵佐川会計部常務理事が割ってはいる。

「玉地君なんとかならんのかね、あの北星君を制御できるのは君しか居ないんだから」

無茶でゴリ押しだけれど日和見の塊であった当時の大阪漫画界は、
自称事務局長と名乗っておけば、何でも事務局経由でさじ加減がきき、
まず自己の利益が確保され、
ご相伴に預かれる人たちとそうでない人たちとの間に深刻な亀裂があった。

当時のなんだかんだでいつのまにやら支部長になっていた、
田中晋一さんは北星さんと仲が良く、実に都合の良いコンピだった。

僕は協会の中で唯一、手塚治虫先生だけが、入社試験の難関100倍の競争率、
望んでも不可能な虫プロのアニメスタッフのチーフに誘ってくれたときに、
家庭の事情もあってお断りしなければならなかった理由を知っていた。

直筆の手紙が来た。


あなたがまだ学生だとは知らなかった。

学生はやはり学業が本文であるし、先ず立派に卒業する事です。

あなたの為を思ってあきらめます。

しっかりやってください。

手塚治虫


手塚先生は学生の僕のことを


「30前だとおもっいてたんだけど、見えなかったなあ」


若年寄のような振る舞いと、僕独特のキャラクタァーが当時から在ったのかも知れない。

ともかく当時は仲間から不沈戦艦と呼ばれ、麻雀をしても負ける事が無く、
岡山から出てきた、いしいひさいちさんを、
こっぴどくこのゲームでいてこましてうたわしまくったりしていた。

ごめんね現大先生。当時の麻雀借用書の紙切れは無くしてしまいました。わははのハ。

割りカンで飲むなら玉地さんと飲もうとか、
常にリーダー的存在感を中学の時から自覚しており、手の付けられない自信と
変なところでの思いやりとが交錯する変人だった。

旧知の大変人で、僕と彼とあと2人で関西大学に、
部、よりフリーな「まんが同好会」を設立して大騒ぎしていた半面、
真面目に授業を欠かさなかった僕を、
運命的に手塚先生に遇わせる触媒となった加藤孝明氏は、
玉地のほうがオレよりもっと変人だ。

おまえは三重人格者だ。

大変人にもっと変人だと賞賛されることは名誉だった。

手塚先生も読者の皆さんも僕のキャラを不思議に思われた事だろう。

ともかく、僕は派閥という汚い言葉が大嫌いで常に主張在る中間を保ち、
大阪漫画界の変なポジションを確保し、2足の靴と下駄を履く人だったので、
漫画で必死になって飯を食わない人だった。

その事自体が派閥化する温床になるぞ。
と言った人も居たが、僕自身の中では常に自分は腹ぺこコョーテを貫き、
これが大阪漫画界の中で孤立し、瓦解の道をたどる事など考えない若さがあった。

一匹狼。と自慢するヤツは馬鹿だと思っている。

狼は群れで狩りをし、順列を常に争い、その闘争に敗れ、
群れから追い出されて自滅していくものである。

正確には腹ぺこコョーテだと理解できずにカッコつけているだけだ。

カッコつける無知な人々を容赦なく阿呆う扱いする性癖が良くなかったのだろうか。

最後は寝首を掻かれる羽目となり、
この愚集どもと決別の途を選ぶ事に確信を持って進むことになる。


この事がまた手塚治虫先生が僕を怒鳴りつける事に繋がったんだろう。


佐川美代太郎氏は、僕のことを北星さんの懐ろ刀と誤解していたふしがある。
僕は変人でフリーで手塚治虫先生のファンだっただけなのに。


「支部長はお忙しいでしょう 私が毎日放送との会合に行って話をまとめてきます」

その会合で彼はこう豪語した。

「こういったクラブではリーダシップを発揮して、
 皆んなを引っ張っていくボス的存在が不可欠なもんです。僕に任せなさい」

言うほうも言うほうだが、聞き流すほうもかなりおかしい話だ。

「じゃあ北星くん、あなたが関西まんが市役所の市長やんなさいよ」
 と同席したやなせたかしさんが言ってしまった。

大失言だった。

「世界まんが博」

のメインキャラクタァーは当然手塚治虫先生がお描きになって、
誰も納得の全員一致のあたりまえ。

公募して決めると言って集めた、
関西まんが市役所のキャラクタァー選考会の中心に市長が入ってしまったのだ。

玉地さん、大変な事になってしまいましたよ。
北星さんがサブキャラに決定したの知ってますか。

と、東京の事務局片山雅博氏から電話が入る。

僕の処へはいつも情報がいの一番に入る。

僕は支部長でもフィクサァーでも無いのに、東京とのパイプは信頼の上に成り立ち、
常に矢面に立たされていた。

さぁ、大阪の連中は怒ったイカッタ。

総スカンのボイコット。僕にも手の付けられない事態に陥ってしまった。

「だったら僕一人でやる」

長月九という芸名の息子と数人のスタッフが、
東京の多くの漫画家さんたちが開催前日に大阪入りし、彼を当然のように詰問する。

「だって皆んなワシの言う事きかないんだ」

それはないだろう。

進退窮まった彼は夜になって僕の所へ電話をかけてきた。

「玉地君。ワシの性格の悪いのは知ってるだろう。もう一度だけ助けてくれんか」

僕は2時間で皆の所へ電話をかけ、スケジュール表を作り翌日の朝、何とか会場に集まり、
何事も無かったかのように自分のキャラクタァーを書いた恥ずかしいエプロンを被り、
テープカットにのぞんだ。



つづく。


つくづくにっちもサッチモ愚者の行進      玉地 俊雄


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左から いがらしゆみこさん・愚者・ヒサクニヒコさん





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最終更新日  2008.09.24 18:08:20



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