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カテゴリ:音楽のススメ
音楽のススメ ・ 鄭 京和 リサイタルにゆく 鄭 京和 リサイタルにゆく。 チョン・キョン・ファ女史は当代最高峰のヴァイオリニストで他の全てを寄せ付けさえしない。 男性ヴァイオリニストのギドン・クレメルでさえ遠く及ばない。 1948京城に生まれた。 里中満智子さんも僕も1948年生まれである。 鄭 京和さんはLpとCDでしか聴けないが音楽は強靭で他のヴァイオリニストが必要ではない。 手塚治虫先生とは生前親しくおつきあいしてくださった。 鄭 京和女史と会えるのは至福のひとときとなるだろう。 ベートーベンの大曲である。 こんな大曲を何故大阪で演奏するのか疑問符であるがそれはそれでよしとしよう。 スプリング・ソナタ第5番 ソナタ第7番 クロイッェル・ソナタ第9番 聴き逃すのは生涯の一期一会を悔やむ事になる。 1970年チョン・キョン・ファ女史は、 ロンドン交響楽団と伴にチャイコフスキィーの協奏曲を弾き世界中に名を轟かせた。 手塚治先生が人を介して僕を誘ってくれたのも同じ頃だった。 手塚治虫先生は何度も万博公園エキスポランドの僕のブースまでサイン会に突然何度も現れた。 ひとりだけ変なおじさんが手塚さんに 似顔絵 を描いてくれと要求した。 僕の筆と絵の具で大変難渋悪戦苦闘の末出来上がったのはものすごい似顔絵だった。 1970年の出来事である。 鄭 京和女史は12才のころヤッシャ・ハイフェッツの、 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のLpからそっくりそのままコピー演奏が出来た。 ジャネット・ヌヴーというヴァイオリン弾きは12才のころ、 世界的なヴァイオリニストのエネスコと言う名の爺さんに特別にレッスンを受けるチャンスが来た。 エネスコ爺さんかヴァイオリンの弾き方についてアドヴァイスと弾き方の変更を勧める。 ヌヴーはこう答えた。 「 私はわたしの感じたとおりにしか弾かない 」 29才の時愛器ストラディバリウスと伴に飛行機事故でなくなってしまった。 SP78回転落とすと割れるシェラック盤のころである。 ブラームスのヴァイオリン協奏曲は鄭 京和女史でも超える事が出来なかった。 このブラームスのヴァイオリン協奏曲が録音されたのが鄭 京和女子の生まれた1948年である。 シベリウスの協奏曲ではよい勝負をしている。 チャイコフスキィーの協奏曲は、 鄭 京和女史しか残さなかったのでジャネットが弾けばこの音楽となると信じて聴いている。 完全に自己のチャイコフスキィーが出来上がってしまった。 ヘタクソの日本人男性のチャイコフスキーを第1楽章が終わったとたん席を蹴って退出した。 拒否反応がムラムラとこみ上げて自家中毒を起こしたのだ。 僕はチケットの内容と演奏会の曲目を確認し無い。 まさかチャイコフスキィーの協奏曲が演奏されると知らなかったのがイケナかった。 とうとう今日の夕方チョン・キョン・ファ女史の演奏が聴ける。 とうとう今夜LpでもCDでもない圧縮も録音再生でもないベートーヴェンが聴ける。 まさか大阪で。 場所はザ・シンフォニーホールである。 胸が高鳴る。 胸が痛む。 大阪市音楽団は政令市大阪を廃止分割しひいては日本の構造を破壊する橋本徹の恫喝で解散された。 市役所職員として残りたいかそれとも野に下って演奏活動だけで生計を立てるか。 大阪府は大阪交響楽団の補助金全てを廃した。 大阪市は大阪市音楽団の全てを廃した。 橋本徹をのさばらせるのは大阪市はおろか近畿圏も日本国もが恫喝スリカエ政策に飲み込まれる。 橋本徹を追放しなければ日本国が地獄を見る。 5.17には 反対 と必ず書こう。 玉地俊雄 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.04.20 10:24:12
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