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漫画家・写真家玉地俊雄 紫煙のゆらぎ

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2016.02.15
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カテゴリ:手塚治虫 玉地俊雄




新宝島表紙絵







 手塚治虫 玉地俊雄 ・ 手塚治虫と酒井七馬が新宝島奥付にて断絶





玉地俊雄は手塚治虫先生と酒井七馬さんの2人と対面した。

双方とも 新宝島 については多くを語らなかった。
新宝島は悪夢の大東亜戦争終結から2年後に発売された日本の漫画界のビッグバンだった。
なのに、
手塚治虫先生も酒井七馬さんも口をつぐむ。



    酒井七馬



酒井七馬は新宝島にいろいろイチャモンをつけては手塚さんに描きなおしを命じた。
手塚さんのお母さんは新宝島という処女出版に大いに期待した。
手塚さんは酒井七馬がだんだんうとましくなってきていた。

酒井が書き直しを命じた原稿を手塚さんの母親が届けるようになって来た。
手塚治虫には酒井ママ馬に対する不満とストレスが溜まりにたまって我慢の限界をむかえる。



扉絵



酒井七馬にすれば手塚さんは医学生のヒヨッコ同然でただ絵が上手いだけの存在であった。
磨けば光るとも考えていた。
手塚さんを指導して玉にしようとしていた。

新宝島は酒井七馬原作・構成である。
手塚治虫は作画だけの存在である。

手塚治虫には酒井七馬の意図とは違った自負と自尊心があった。
表紙も裏表紙も扉絵までが酒井七馬に書かれるとまるで酒井七馬の新宝島ではないか。



手塚治虫玉地俊雄




まだ任意団体だった日本漫画家協会総会の最中。

                   手塚センセか新宝島描いたおかげで
              今の日本のマンガが
              シッチャカメッチャカになってしもたんでっせ
と、
となりに座られた手塚さんに大失言をした。
手塚さんは、
僕の同時たしなんでいたハイライトのシガレットを1ポン所望し、
当時持ち合わせていたフランス製デュポンのライターで火をつけてさしあげた事があった。

                         うーん
                  そうかもしれないなあ
と、
手塚治虫先生は述懐していた。
新宝島はやがて 銭ゲバ ハレンチ学園 巨人の星 などに拡大変貌してゆく。

手塚治虫は、
自分が戦後のマンガを創設したからには自分がトップだという譲れないお山の大将気分がある。




新宝島奥付



決定的決裂の証拠が新宝島の出版で明らかになった。
育英出版とツーカーだった酒井さんの意向で、
著者は酒井七馬になり著者検印も酒井七馬の印鑑が押された酒井七馬の出版物となってしまった。

手塚治虫は激怒した。
手塚治虫と酒井七馬が新宝島奥付にて断絶した瞬間であった。

つづく




公益社団法人日本漫画家協会会員

                                  玉地 俊雄





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最終更新日  2016.02.15 09:45:41



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