4602 5月17日に追放すべきである
竜馬がゆくを読む 70 弥太郎やいか 大坂で何をしゆうがぜよ在特会との下品極まるののしりあいを映像で流したのは日本人の恥であった。世界中からヒンシュクをかった。教育委員会ではヤツの同級生が女性委員を恐怖政治のようにパワハラするさまが醜い。どうやら問答無用の論理が共通しているに違い無い。5月17日に追放すべきである。背後からの大石のひと太刀にたまらず吉田東洋は、どっと横へ体勢を崩すところへ、那須信吾が右袈裟懸けに斬りさげたこの一太刀か東洋の生涯を閉じさせた。維新には数知れない血が流れた。軽々に 維新 の名を汚すなと言いたい。大阪人たちよハッシモットーフアックバルと叫ぶ異端宗教の洗脳に抵抗せよ。 「 嘉助 首 首を打ちや 」安岡嘉助は狼狽のあまり、何度もなんどもいたずらに刀を振り下ろしては失敗を繰り返す体たらくであった。ハーフダイ状態の吉田東洋もたまったものではない。公明党は住民投票実施施行条例には賛成するが、住民の意向可否判断結果に係わらず大阪と高層実施には反対するという不可思議な態度で臨む。そんな鵺のような態度は許せない。竜馬はこれを知らぬ文久二年三月二十四日東洋暗殺十五日前に脱藩していた。長州三田尻の港に沢村惣之丞とともに降り立ちゆくあてもない竜馬。 「 これから何処ゆくんぢゃ おまんのえいほうへ連れていっちゃりや 」 「 天下の水先案内人 吉村寅太郎を探さにゃならんきそれからぢゃ 」羽前浪士清河八郎の大策略で京都倒幕義挙の浪士たちが続々と脱藩していた。清河八郎は希代の詐欺師であり人々を扇動する大弁舌屋であった。また無類の舌鋒で論破論破を愉しむ意地悪な性格であった。相手が論議にヘトヘトになっても口撃を止めず息の根が絶えてもなお苛め抜く嫌なヤツであった。僕は清河八郎のような橋本が大ッ嫌いである。竜馬と沢村は船便で摂津西宮港に文久二年四月二十一日に到着し、吉村寅太郎を大坂長州藩邸を訪うたところ京都長州藩邸に移動した後であった。5月17日に大阪都構想住民投票が否決されれば橋本は政界から消えて無くなる。絶好のチャンスだ。4月の大阪府・市会議員選挙で自民・公明は選挙協力候補者調整を行う。維新潰しを徹底的にする為には共産・民主間で候補者調整と選挙協力を模索せねばならない。民主党は東京と大阪の維新を別物として対処している。 「 長州藩邸は 西長堀の土佐藩邸に近いきに 坂本さん出ちやいかんぞね 」元来好奇心の強い竜馬は心斎橋筋の夜店や屋台に肝そぞろでぶらぶらと歩く。 「 こりゃあたまぁるかえいのう 」盛り売りの蕎麦・焼きまんじゅう・豆腐の味噌田楽うなぎのかばやき・きざみ煙草ビンツケ油に絵草子屋もあり物真似や辻講釈師と多種多彩である。 「 竜馬ァ 」背後からオシツブシタような悪意をこめた呼び声に振り向く竜馬。井上佐一郎と三菱の創業者となった盗賊岩崎弥太郎のふたり。 「 おぅ おまん弥太郎やいか 大坂で何をしゆうがぜよ 」大阪は下品な独裁者に蹂躙されている。大阪・サンフランシスコ友好姉妹都市締結60周年事業は2年後の2017夏から秋だ。下品な言動とツイッターへの書き込みでアメリカは受け入れを拒否する。反省の色も煙も無い。 「 うらあ下横目ぢゃき おんしをひっ捕らえに来た 神妙に藩邸まで来いっ 」そう言われてみると脱藩した記憶もあるが弥太郎ごときを斬るつもりも無い。竜馬は生涯斬殺などした事が無い。 「 おまん 井上さんっちゃあ 初めて御目に掛かるが みともない顔ぢゃのう 」ヒトを見下したような鋭い睨みつけるような眼相がリーダーとしての目ではない。チンピラの目付きである。 「 竜馬御用ぢゃき神妙にせいや 」 「 あしに何んのようがあるがぜよ 」 「 国元で 吉田東洋さまを斬って 退転したがはおんしぢゃろう 」武チの沈鬱な表情が東洋の最期に重なり藩政の代激変の様子と同時に交錯する。 「 ほいたらおまんらあは 誰から差し向けられたがぜよ 」土佐勤王党が土佐藩政を握れば刺客逮捕の卑属どもが大坂まで出張る筈が無い。 「 竜馬よぅお聞け 武市一派が土佐を乱しておるが 江戸の老公様が そのほうら悪人ばらぁ 一網打尽に亡ぼす事になるぜよ 」井上佐一郎は無謀にも抜刀するが岩崎弥太郎は草履をぬいで遁走の用意をする。 「 ほうかいやる気かよ 」心斎橋筋から遠く離れた土佐藩邸鰹座橋の近く宇和島橋の闇には人通りが無い。つづく僕は維新と言う名を名乗るヤツバラが大ッ嫌いだ。維新八朔は反故にされた。船中八朔をカタル無能者ドモに腹が立つ。やしきたかじんの最悪の選択が大阪を中心にして世界中に下品な発言と書き込みが止まらない。5月17日に追放する準備を始めなければ独裁恫喝暴走がのさばりつづける。維新を軽々に愚弄するな。 玉地俊雄