みおろしていたぶたい。
ちいさなおんなのこがわいやーもなくくうちゅうへあがってくる。
そのまわりをきょうげきのおんがくとぶとうがとりかこんでいる。
しょうじょというにはおさないこが、
あしもとのほうからわいやーもなくふゆうするようにすこしずつすこしづつせりあがってくる。
ふしきせなこうけいだった。
むごんげきだ。
おとすらないがしきさいがある。
そとはまつりのようにひとでがおおい。
ひがしみくにからみやはらのとおくまでひとひとがいっばいた。
ふくそうかなみるとだくじょのさいははんだんがつきかねるがかなりのにんずうである。
そのなかにでんわではなしたみしらぬしゃちょうがしゃいんひゃくにんをつれいたたずんでいた。
かれにたのまれたしょうひんのれんらくさきとしょうひんめいのめもをわたしてわかれた。
にかいまであがるとかれいなげきはまだまだつづいていた。
このげきは決めつのやいばににているようなきもする。
しゅじんこうのひろいんはあいかわらずくうちゅうをふゆうしているなあ。
このひとたちがじゅうみんとうひょうへゆきはんたいひょうをとうずればもんだいがかいけつする。
そうだ。
はんたいとかけばよいのだ。
それでおおさかのふしあわせのげかいんいしんまかいがはかいされてばんばんざいです。
うらぎりもののこうめいとうもてんばつでめいふまどうにらくせんする。
こんな夢をみた
玉地 俊雄