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ナンバー1にはならなくてもいい、もっともっと特別なオンリー1
とスマップが歌っていますが、 人と比べるのではなく、自分を大切にっていうようなメッセージでしょうか。 ただの言葉遊びなんだろうけど、こんなに何回も聞こえてくると気になる。 言っている事は判らなくないのだけど、無理なすり替えがあるような気が。 経済を復興させるのに必要なのは、多くのまじめな納税者ではなく、一人か二人のビルゲイツだと聞いた事があります。 ビルゲイツのような人が一人いればホント国だって買えてしまう。 さてこの場合、ビルゲイツはナンバー1でもありオンリー1でもある。 私が気になるのは、 ナンバー1にならなくてもいい、って言いきってしまうところ、そこだな。 バケツに入った花は、他と比べることなく胸を張って咲いている、というけど。 違うよ。 花にはそれぞれに値段が決まっている。 それは人間が決めた事だけど、花にしても、どうやったら昆虫に花粉を運ばせられるか、どうやったら多くの子孫を残せるか、とにかく多く残せたものが勝ちなんだから、他の木よりもちょっとでも多く太陽を浴びようとか、必死の努力をしているイメージがある。 みんな一番いい種を残そうと頑張っている。 それはナンバー1を目指している方向だ。 オンリー1ってこの場合何だろう。 オンリー1といえば、そうだな、種を残すことを考えず、ただただ自分だけが楽しかったらいいというイメージが。 誰かと比べてそれよりも勝とうとせず、自分の中で自分が最も輝けるようにというメッセージは美しい。 でもそれは絵空事だ。 人間は比べたがるというけど、どんな動物だって植物だって選んでいる。一番いい種を残せるように。 一番になりたがる事を、否定してはならない。 それは明確な目標になり得るのだから。 集団で生活をせざるを得ないこの社会で、一番になるという目標はとても簡単で判りやすい。ナンバー1になるというのは、人を蹴落とす目的だけではないだろう 僕達は世界に一つだけの花だ、という。一つとして同じ花はないという。 でもオンリー1だ、と自分を認めた上でさらにナンバー1を目指すべきなのではないか。子ども達は。 私の気持ちの中では、オンリー1になってその上でナンバー1を目指すのが、いい。向上心を失ったら終わり。 自分の価値に気が付くのは大切な事だ。この世に存在する唯一の自分。この尊さ。人から愛される私であるという自信。それが根本にあることが絶対条件だ。だからオンリー1であるべきだ。 でも、自分の価値、ということをずっと長い間言いすぎて、みんなが自分の価値を気にするようになってしまった。自分の価値なんて、本当は気にしなくてもいいくらい小さなもので、そんなことに囚われ始めたら毎日を生きていけない。 それは必須条件である、というくらいのレベルに留めておくべきだ。どんな花であったとしても、生活は、単純に続く。もっといい暮らし、もっと幸せな一日、の為に向上することが、判りやすくて明快な、生きていく理由なのではないか。 自分の価値を大切にしようと言い始めると、自分のどの部分を磨けばいいのか、自分と言うのはなんてちっぽけな生き物だとどんどん内向的に視野が進む。 自分探しという言葉が流行った頃、迷った人が多く出たと思う。向上なしに愛せる自分にはなれない。上へ向かわず自分の中を探る姿勢が、人々を惑わせる。迷う事も大切だ。でも向上性をもって生活できる事はもっと大切だ。 人はオンリー1である。命はかけがえのない大切なものだ。でも一人の命が地球上で最も大切だという考えは、残念ながら肯定できない。 黙って咲いている花は時折動物に踏みつけられてしまう。でも多く咲いていればそのほかの花が生き残り、その種は続く。 残念ながらそんなものだと思う。 だいたい、花屋のバケツに集められている花は、枯れるのを待つばかり。種さえも残せない。どうしてそんなものを比喩に持ち出したのだろう。 ゆとり教育が議論されたが、日々の前向きな努力の合間にゆとりは必要なのだ。ゆとりばかりを考えていると、大切なものを身につけられないままになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年04月06日 17時23分12秒
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