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カテゴリ:本のこと
紹介文
会いたくて、電話があればすぐに飛んでいった。ありがとうって言ってほしくて、百万円のブランデーもポンと入れた。滑稽で哀しい叶わぬ恋愛の顛末…、笑って幕を引いたはずだった。あの日、真実を知るまでは。十五歳年下のホストとの恋を綴ったエッセイに衝撃の書き下ろし後日談を加え、今とあの日、引き裂かれた時間の中で立ち竦む己の姿を偽りなく書き尽くす。これがうさぎの落とし前。 さびしいまる、くるしいまる。 中村うさぎがホストにハマっていたとはなんとなく 知っていましたが、この本はそのはまりっぷりだけではなく ”私はいったい何が欲しいんだろう?”という中村うさぎの ”自分探し”、本人は大嫌いだというこの言葉に尽きるのでは? と思います。 ただ、うさぎ氏、私はどこまでも”私”しかいない自己愛の塊 だから”他者”に恋焦がれるみたいな解釈をしていましたが ホストはともかくブランドに関してはやはり 他者なくしてはありえないハマりっぷりだったワケで。 だって見せびらかす、もしくは比べる相手がいないところで ブランドなんて何の価値もないでしょう?? なんだかんだ言ってタダ単にホストのいいがままになってた だけのような。 文庫版のあとがきを書いたころにはきっとすっきり目が覚めていると 思われますが。 本自体のラスト、”(ホストに対して)幸せになってください。 それが今の私の、たったひとつの願いです。本当に、ね。” なんてカワイく締めくくられているドリーマーな部分と 文庫版あとがきの現実のギャップ。 コレ(文庫版あとがき)がこの本の中で一番価値のあるものじゃないかなと。 今までの浪費を書いたエッセイよりこの本のほうが 印象に残るところがたくさんありました。 たとえば ”私が最後に見た彼の顔は、これまで見たことがないほど怒りにゆがんでいた。でも、怒りに歪んでいても、やっぱり「綺麗な顔だな」と私は思ってしまった。もはや好きだとか、そんな感情はつめの垢ほどもなかったが、それでも綺麗なものは綺麗だ。美しさというものは、本当に、内面の醜さなんかに全然影響されないんだ、としみじみ感心した。悔しいものだが美貌というものは、その人を思いっきり底上げするのである。” という一文。 その後の美容形成はこれが発端だったんでしょうか? でも、これは本当だと思う。 どんなに内面嫌なやつで自分のことしか考えていなくても 美しい人は美しい。 美しいってだけで許されてしまうものって本当にある。 うさぎ氏が求めていたのはもしかして”無償の許し”? 美しくなりたいのも皆に無条件に受け入れてもらいたいって言う 心のあらわれ? そうだとしたら、本当にさびしい人なんだなぁ。 でも本書で書いているように今あるものを大事にしたら 自分も、壊れているとか醜いとか思っている自分も 大事にできるんじゃないのかなぁ。 あと、 ”・・そんなふうに自分を切り売りしている人々は、必ずそのことに復讐される。魂が壊れていくのだ。最初から健全ではなかった魂が壊れていくのだ、ますます欠け落ちていくのだ。そして、それと引き換えに得たものは”金”・・・これは、失われた”私”の一部だ。””自分を切り売り”する仕事って言うのは色々あると思うけれど、 本書では水商売や、芸能人、うさぎ氏のような私小説家と書かれています。 でも、商売ではなくても"嫌われたくないから””寂しいから”という 理由だけで簡単に行きずりのオトコと寝てしまう 人たちにも共通するのかな、とふと 飯島愛の”プラトニック・セックス”を思い出しました。 ”減るもんじゃなし”と好き勝手する前に この本を読んでもらいたいなぁ。 魂が”減っていくっていうのは本当だと思うから。 ちなみに、検索してこの”春樹”なるホストさんの顔を拝見しましたが 残念ながらワタシの好みではありませんでした。 こんな実名で本を書かれても現役なんですねぇ。 面の皮10cm。 買い物エッセイでは軽くスルーしてましたが 見直しました、うさぎ。 でも、自殺するまで自分を追い詰めないでほしいなぁ。 あなたを大切に思っている人たち、たくさんいるみたいじゃないですか。 ”愛と資本主義”も機会があったら読んで見たいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 18, 2008 10:11:23 PM
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