紹介文
どんな男と女の関係でも必ず別れを内包している。ひとつの愛の終わりと、別のひとつの愛の始まり――それは突然にやってくるものらしい。哀しく辛く胸をえぐった、青春の日の初めての別れの言葉。それから、どれぐらい多くの別れを体験してきただろうか。――大人の女の恋愛を描いて定評のある著者の、別れのストーリーを織りこんだ、第一エッセイ集。
別れの予感【電子書籍】[ 森 瑤子 ]
1981年、森さんの初めてのエッセイ本のようです。
情事が1989年だから本当に初期のものですね。
死後明らかになった
暴露本やなんかを読んだあとだと、これが世間に知らしめしたいモリ・ヨーコの世界というのを無理して取り繕っているようで痛々しいばかり。
81年っていうともう40年近い昔なわけですがその時代にワタシの今の年齢に近かった森さんが書いて皆さんが絶賛した世界ってこんなんだったんだなぁとその世界観や価値観の違いにビックリ。
いや、ワタシ、海外長いし今の普通の40代の価値観だとか、ましてや若い人たちの価値観なんか全然わからないんだけれども。
でもまさか、いまだにこんな
海外=欧米=すごい!オトナ!エライ!なんて誰も思ってないわよね?
ね?
たとえば。
『日本の平均的男たちの生きがいが仕事なら、私の夫を平均的西洋人とする彼らの生きがいは遊びである。いかに週末を楽しく過ごすか、いかに夏休みを快適に暮らすかがまず最初にあって、そのために働き、お金を貯める。そこが違う。』
これは森さんの時代とはずいぶん変わってきているでしょう?
働けば報われた時代はとっくに終わったのだし。
むしろ仕事を生きがいにできた時代がうらやましい、くらいの雰囲気なんじゃないかしら?
『例えば、クラーク・ゲーブルのように微笑う男。ジョルジュ・ブラッサンスのように(中略)そういう男たちが日本にはいない。(中略)ないものねだりはこの辺でやめておこう。苛々して胃が痛くなる。どうやら日本の男に欠けているものが見えてきた。真の意味での男らしさ。大人の男。一人立ちした男。つまりちゃんと自立した男のこと。』
と、森さんは日本男子をこき下ろしておりますが、欧米男はみんな自立してたんでしょうかね?40年前は?
ってか自立した男の定義が仕事以外の趣味を持っている、しかもそれがオペラやコンサートに行くような高尚な趣味、ってことなのであれば残念ながらいまは少なくともワタシの周囲のオージー夫たちはすべて自立した大人ってわけじゃなさそうですけどねぇ。
日本の男はいかんから自分の息子たちは理想に育てよう!っておっしゃってますけどその息子さん世代がワタシの世代の日本男子なのでしょうが彼らは自立してるんでしょうかね?
ワタシ的にはクラーク・ゲーブルだって家に帰ったら何もしないでパジャマでゴロゴロしてたんじゃないかとおもうんですがね?
森さん世代は欧米の男性にファンタジーをもてただけ幸せだったのかもねぇ。
現実は
世界どこに行っても男は男、ただし個体差アリってことだと思うもの。